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番号:146名前:管理人日時:2019年10月21日16時36分05秒権限:利用
Renteさん コメント有難うございます。
「税の使途を限定することを財務当局が認めることはハードが高い」という点についてですが、カナダ年金のクローバックは、次のように説明されています。

カナダの老齢保障年金(OAS)は、全額税財源により支給される年金制度であるが、受給者のうち、OAS以外の所得額が一定額(月額5,913カナダドル(約55.6万円))を超える場合は、所得額のうち当該一定額を超える部分の額の15%に相当する額を税として国に払い戻す(実際には、翌年7月から翌々年6月のOASの給付から控除する)制度があり、クロ-バックと呼ばれている。(第26回社会保障審議会年金部会(平成26年10月15日)資料2「高所得者の年金給付の在り方、年金制度における世代内の再分配機能の強化」31ページ)

確かに、これは税方式の公的年金なので、税との分の調整が容易であるという点はありますが、注目すべきは、「税として国に払い戻す」という位置づけで、「OASの給付から控除する」という年金減額を正当化していることです。「働いたら年金を減らす」ということではなく、「年金は減額しない→税負担は増える→年金を減らして調整する」というルートです。

そこで、日本の場合ですが、年金は満額支給することとし、「年金も含む所得で税負担を高める→高まった税負担の分は基礎年金の国庫負担を減額する→国庫負担の減少分だけ基礎年金を減額する」なら、いかがですか。これなら、十分に実現性があるように思いますが。


番号:145名前:Rente日時:2019年10月21日10時21分25秒権限:利用
③については、ようやく風向きが変わり、被用者年金の適用拡大が進みそうですね。年金の未納も減るでしょうし、遺族年金など非正規労働者に扶養されている家族の保障という点でも、早く実行してほしいと思います。
①と②について、金持ち優遇にならないように課税強化すべきというご意見に賛同致します。一方、税の使途を限定することを財務当局が認めることはハードが高いのが実情かと思います。私見ですが、年金から現役世代並みに医療保険料や介護保険料を負担してもらえば、年金の手取りが減少し、社会保障の財源に充てられるので良いのではないかと思います。


番号:144名前:管理人日時:2019年10月19日13時36分19秒権限:利用
島津輝明さん 早速に貴重なコメントありがとうございます。
基本的な視点や問題意識は同じだと思います。大きく違うのは、年金保険料と税に対する考え方でしょう。
島津さんは、保険料と税とを峻別しておられますが、国民負担としては同じであり、個々の国民の感覚としても、大きな違いはないと思います。

国民すべてを対象とする基礎年金の本質的意味合いは「長生き保険」との整理ですが、基礎年金は、就労できない高齢期における防貧を目的とするものとされてきました。
その観点からすると、いくら人生百年時代でも、80歳くらいを支給開始年齢というのは、私には厳し過ぎる想定のように思います。
そうなると、繰上げ受給を選ぶ人が急増するかもしれません。もっとも、余裕のある人が繰下げを選べて増額されるのなら、同じ事かもしれませんが。

基礎年金は、国民が平均的に働くのが厳しくなる年齢を支給開始年齢にするのがよいのではないでしょうか。そうすると、現在だと70歳くらいのものでしょうか。
でも、すぐに75歳くらいにはなりそうですね。

保険料と税との区分は、前者だと権利性が強くなると言われています。ただ、徴収に対する納得性・説得性みたいなものも大きいと思います。
問題は、税の場合、被用者を除くと所得の把握が困難で、被用者とそれ以外の人との公平性が問題になると、ずっと言われてきました。
それ故に、国民年金の保険料も定額になっているわけですが、いい加減、ここに切り込まないと、被用者とそれ以外を区分している考え方から抜け出せません。
マイナンバーカードによる所得把握の向上や、地方税や介護保険料などにおける所得要素の加味も、実際に行われているわけですから。

厚生年金は、私は、職域組合が発達しなかった日本における全職域対応の強制企業年金と捉えています。全国民を対象にしていないのですから、助け合いの制度ではなく、
後代負担を当てにするのもおかしいのですから、マクロ経済スライドも全面的に適用して、給付を調整すればいいと思っています。

この厚生年金に被用者以外の者を加入させるという考え方については、企業負担がないわけですから、果して、そういうニーズが出てくるのかと思います。
被用者以外も全員加入させるのは無理ですから、任意加入となるでしょうが、そうすると強制企業年金という仕組みに風穴が開いていまいます。
地方議員などが厚生年金への加入を画策しているのは国民の税金による半額負担を当てにしているからですが、その動きも助長・正当化しかねません。

労働市場の変動は、人に雇われない働き方までをも展望したものとなってきています。そのような人々を被用者扱いにするのは限界があるでしょう。
この点は、基礎年金と同じく、誰もが利用できる老後貯蓄制度を用意し、厚生年金や企業年金の本人保険料は、その枠から控除するのが妥当ではないかと思います。

基礎年金の劣化が進む状況の一方で、ベーシック・インカムの動きが出てきています。うかうかしていると、基礎年金も吹っ飛ぶかもしれません。
国民が幸福になるのならそれでもいいと思いますが、とにかくも当面は公的年金制度は必要なのですから、今こそ公的年金の意義を明確にする必要があるでしょう。
なお、ベーシック・インカムについては、次のTEDの動画を参照されることを推奨します。私は、とても衝撃と示唆を受けました。
   https://www.ted.com/talks/rutger_bregman_poverty_isn_t_a_lack_of_character_it_s_a_lack_of_cash?language=ja#t-886661


番号:143名前:島津輝明日時:2019年10月19日07時11分51秒権限:利用
わが国年金制度の問題点が次の3点にあるとの指摘に同意します。
①基礎年金の拠出期間が60歳までであること、②高齢者が働くと年金が減らされること、③働いていても「パート」などは厚生年金に加入できないこと。
特に②については1986年改正時点において、高齢者の就業促進の観点から65歳以降完全支給に改められましたが、いつの間にやら元の給付制限に戻されました。国の将来よりも、目下の年金財源を優先する狭量性が優先したのでしょうか。
久保博士のご意見は、年金課税を強化し、その財源を①に回せばよいということです。現行制度を前提にすればそれも「あり」でしょう。
ただ年金の恒久的安定を考える上からは、もっと視野を広げて、基礎年金と厚生年金のあり方を根源から再考する時期に来ていると感じます。
国民すべてを対象とする基礎年金の本質的意味合いは「長生き保険」です。そうすると人生百年時代ですから、その8掛けの80歳くらいを支給開始年齢として再設定することになり、給付総額は大幅減ですから、国庫補助を廃止したうえでさらに年金額の大幅アップが可能です。
これとの対置で厚生年金は老後生活資金の事前準備と整理します。そうすると自身が設定した年齢以後では無条件支給が当然であり、また対象者を雇用労働者に限る必然性はなく、就業していて所得額を申告できる者であればだれでもk入させることになります。
雇用労働という就業形態をそのほかの働き方と分ける考えが、時代遅れの19世紀的階級観に縛れられています。この点をクリアすれば、①②③の解決は可能です。また保険であるのですから保険料のみで運営すべきです。破綻の付置にある国庫にしがみつく悪弊もそろそろ卒業しなければなりません。政府の財源は、今回の水災でも露呈された防災方面など、国家としての根幹部分に回すべきでしょう。




番号:142名前:管理人日時:2019年10月19日03時52分34秒権限:利用
年金時事通信19-014号 (作成日:2019年10月19日)
「特別号:日本の公的年金制度の課題-2019年財政検証結果を踏まえて」

○ ようやく、先頃になって、8月27日の社会保障審議会年金部会で報告された2019年財政検証結果に関する議事録が公開された。その説明と質疑の内容に子細に目を通すと、実に興味深い。そこで、それを踏まえて、日本の公的年金制度の課題を論じてみよう。
○ 日本の公的年金制度には、不条理と思える点が大きく3つある。①基礎年金の拠出期間が60歳までであること、②高齢者が働くと年金が減らされること、③働いていても「パート」などは厚生年金に加入できないこと、これらは良識と正義に反するものである。
○ さすがに③については、空前の人手不足を背景に、風向きが変わってきている。年金部会でも、厚生年金の適用拡大に反対しているのは、中小企業団体の代表のみである。そもそも、ここまで露骨に非正規労働者差別をしている「先進国」など、他にはない。
○ では、①と②はどうか。人生100年時代とか、生涯現役時代と言われており、高齢者にも長く働いてもらわないと、少子高齢化が急速に進行する日本の経済が持たないことは誰にでも分かる。ところが、この問題には、年金部会の委員も急に歯切れが悪くなる。
○ そのネックは財源というのである。①だと国庫負担が増加する。②だと給付が増えて将来の給付水準が低下する。そこで立ち止まる。カネが頭を駆け巡っていて、大義の重要性には目が行かない。「How dare you!」何のための委員、何のための審議会なのか。
○ もちろん、委員の中には、財政検証でまたも示された基礎年金の給付水準の低下に心を痛め①には早急に取り組むべきだという意見もあり、②でも、年金減額を廃止・緩和すれば高齢者の就労意欲向上により経済が好循環するようになるのでは、との意見もある。
○ ②では、益を得るのは高額所得者ではないか、との疑念はある。公的年金としては、所得再分配に目を向けるのは当然である。しかし、年金の畑の中だけで考えていては、まともな知恵が出てくるはずもなく、このままだと、①も②も先送りになる恐れがある。
○ 当通信で何度も主張してきたように、高額所得者からは、より多く税金を取ればいい。そのためには、給与所得と年金所得とを分けて、両方で税制優遇をしている金持ち優遇など論外で、両方の所得を合算して課税すれば、今より、ずっとましな状況になろう。
○ そんな主張は、以前から他にもあるが、税当局も年金当局も目を向けない。例えば、年金当局からすると、税は増えても減額しないと年金財政は悪くなる、ということなのだろう。縦割り行政の弊害が如実に出ている気がする。役人なら、もっと広い視野を持て。
○ そこで、①と②を振り返ってみると、①では税が足りなくて、②だと税が増える方策はある。何だ、それなら、②で増える税を①に回せばいいではないか。税当局と交渉して、公的年金から徴収している税の増分を、基礎年金の財源に充てるようにすればいい。
○ このような仕組みは、カナダで導入されており、クローバックと呼ばれている。年金を減額するのではなく、合算所得を勘案して税として徴収するのである。これを基礎年金側がもらえばいい。カネばかり見ていてはダメだ。やはり大義に目を向けよう。(以上)


番号:141名前:管理人日時:2019年09月27日09時12分24秒権限:利用
受給者Aさん、コメント有難うございます。
「スチュワート・シップコード」にしても、本当に大事な日本の企業年金の将来を見据えるのではなく、末端の議論に過ぎないように思います。
喫緊の課題は、たとえ確定拠出年金への切り替えが進むとしても、高齢者に自己責任での資産運用を強いるのは適切ではないという認識の共有だと思います。

自動車の運転免許すら返納を推奨される高齢者に、資産運用を強いるのは、虐待にも似たもので、無責任な政策でしょう。
今は、金融機関も、資産を保有するリスクを毛嫌いし、手数料商売に血道をあげています。かんぽ生命の不祥事は、承山の一角だと思います。
退職金などのまとまった資金を握った高齢者の願いは、こんな金利情勢なのですから、「有利」より「安心」を重視することではないでしょうか。

その機能を果してきたのが、給付建ての企業年金ですが、受給者の増大の圧力の中では、存続が困難になるのも無理からぬ気がします。
受給者を切り離し、本人の希望で企業年金連合会に移せる途が用意されれば、まだ日本の退職金・企業年金の存続の可能性は高まると思います。
ですが、言い続けてきたその構想も、時の流れとともに、無為に終わる懸念が高まっているのが、心残りです。


番号:140名前:管理人日時:2019年09月27日08時54分59秒権限:利用
年金時事通信19-013号 (作成日:2019年9月27日)
「ギグ・エコノミーと企業年金」2019年9月25日 日経夕刊7面

○ コラム/十字路における野尻哲史の論説である。「企業年金の対象外であるギグ・エコノミーの担い手にどう自助努力を促すか」が米英では課題になっており、日本でも、個人型確定拠出年金(イデコ)等の「手続きの簡素化」で利用者拡大が必要としている。
○ 視点としては鋭い。2019年9月25日付の日経朝刊2面の社説「ウーバー雇用新法への懸念」は、「米カリフォルニア州で、インターネットを介して仕事を請け負う個人らを従業員として扱うよう、企業に促す新法が成立した」のを(批判的にだが)論評している。
○ ともあれ、フリーランサーの増大などで急速に変容する労働市場の状況に対して、対応策を真剣に検討すべき時期に来ているのは、間違いないだろう。ただ、野尻氏は、それを企業年金のあり方と絡めて論じている。それ故、まとまりのない論旨になっている。
○ 企業年金に絞ってみた場合、野尻氏は、「英国は2012年にすべての企業に企業年金の導入を義務付け」、「米国でも、複数の企業で共同運用ができるMultiple Employer Plans(MEPs)と呼ばれる企業年金の規制緩和案が議論されている」ことに目を向けている。
○ ところが、日本への言及については、「自営業者、なかでも1人で働く人が増え、フリーランサーという言葉が多く取り上げられるようになった。しかしそのための企業年金については、明確な議論がなされていない。」と、企業年金の内外を区別していない。
○ 恐らく、この点が、確定拠出年金を主眼とする氏の考察の限界なのであろう。日本の状況を語るなら、義務付けされていないのに広く普及している退職金制度への言及が欠かせない。「企業年金」や「個人年金」にだけ目を向けても、喫緊の課題は見えてこない。
○ 米英では、給付建ての企業年金が実質死滅してきており、貯蓄類似の確定拠出年金が主力である。結局のところ、政策の主眼は、企業からの掛金助成の強化になる。だが、日本では、退職時に支給される退職金が、退職後の生計を維持する手段として重要である。
○ この退職金の問題は、基本的に正社員にしか提供されておらず、非正規労働者が埒外に置かれていることである。それどころか、公的年金たる厚生年金すら、加入も受給もできない非正規労働者が多数いるのが日本の現状である。喫緊の課題は、まずそこにある。
○ そうした中で、政府は、退職金を折角外部拠出して企業年金化していた税制適格退職年金制度を廃止した。ところが、その受け皿としての確定給付企業年金への切り替えは十分には機能せず、結局のところ、企業年金の衰退をもたらす結果となってしまっている。
○ だが、現在の厚生労働省は、この課題に真摯に向き合うことなく、退職金がなく今や確定拠出年金に頼るしかない米英の後ろ姿を追いかけているような有様である。退職金を潰して確定拠出年金に向かわせるような誘導策が、本当の国民の利益になるのだろうか。
○ 全国民に基礎年金を支給する日本の公的年金は、フリーランサー増大にも対応できる面があると米国の年金関係者にも評価されているという。だが、その基礎年金の機能劣化もマクロ経済スライドで進む。あるべき姿に背を向けている気がしてならない。(以上)


番号:139名前:受給者A日時:2019年09月22日20時26分42秒権限:利用
「スチュワート・シップコード」「コーポレート・ガバナンス」と合わせ「企業年金」にとってそれほど重要かどうか理解に苦しむ。セミナーにも参加したが、受給者の立場からすれば全く対岸の問題であると思った。
 ことの責任に屋上屋を重ねているようで、「船頭多くして---」の感を否めない。オムロンのような処置を招くのが落ちだ。
 大切なことそれは「受託者責任(抽象的ながら善管注意義務)」であり、DBはもちろんのことDCでもそれが何であるか、今一度再確認することが先決だと思う。自分たちの立場と責任を合考えたれ、周辺のことへの関心は二の次になるはずだ。
 「責任」と「目的達成の感謝」はシンプルにわかりやすい方がいい。


番号:138名前:管理人日時:2019年09月22日13時45分34秒権限:管理
年金時事通信19-012号 (作成日:2019年9月22日)
「企業年金、採用広がる 機関投資家向けの行動指針」2019年9月22日 日経朝刊2面

○ 「企業年金が機関投資家向けの行動指針『スチュワードシップ・コード』を相次いで採用している。8月までに21の企業年金が採用し、9月にはオムロンも続く予定。…投資先企業の統治(ガバナンス)の強化と運用成績の底上げにつなげる狙いがある」との記事である。
○ このスチュワードシップ・コードに関して、年金シニアプラン総合研究機構で、フォーラム「企業年金の今後の展開」(https://www.nensoken.or.jp/news/20190918_02)が行われた。その内容も参考にして、年金基金にとってのスチュワードシップ・コードを考えてみよう。
○ このコードは、機関投資家の行動原則であるが、企業の行動原則であるコーポレートガバナンス・コードと併せて、「中長期的な視点に立った企業と投資家との建設的な対話」を促すものとされている。その視点は、「コーポレートガバナンス改革」に向けられている。
○ 対象となる機関投資家として、運用機関だけでなく、年金基金も含めて、包括的に考えて行こうというのがコードの趣旨なのであるが、同じアセット・オーナーと言っても、年金基金は第1次のオーナーであり、運用機関は第2次のオーナーであるという違いがある。
○ もっと、根源から分類すると、年金基金は資産管理者であり、運用機関は資産運用者である。その外延には、資産提供者である企業年金の母体企業と、資産帰属者である年金制度の加入者・受給者がいる。そうした関係者と、このコードは、どういう関係を持つのか。
○ 年金基金にとっては、このコードの採択以前に、重要な責務がある。それは、資産帰属者に対する資産管理者としての責任であり、「受託者責任」と呼ばれるものである。コードの中の、運用機関の選定や評価の適切性は、受託者責任の中核的な責務ともされている。
○ そうした観点からすると、このコードの受け入れは、屋上屋を重ねる感もある。コードの対象に適する年金基金として、公的年金の資産運用を担うGPIFや中途退職者などからの資金を運用する企業年金連合会などを考えれば、さほどの違和感は感じられないであろう。
○ それは、これらの年金基金が巨額の運用資産を有し、運用機関選定にあたっての大きな力を有しているからである。ところが、一般の企業年金基金は、状況が異なる。相対的に資産規模は小さく、運用機関の選定でも、その機関の機能を部分的に利用する立場に立つ。
○ もっと大きな問題は、一般の年金基金にとって、資産提供者である母体企業の考えや動向を軽視することはできない点にある。実際、フォーラムで登壇したオムロンの経営幹部は、コードの受け入れを、制度改革の好機と考え、将来期間分を確定拠出年金に移行している。
○ 確定拠出年金でもコードの対象との声はあったが、実際の資産管理者は個々人になるのであるから、企業などの関与は極めて限られる。企業が経営管理上の観点から企業年金を見直すのは当然であるが、コード受け入れの議論がどう展開していくのか注意が必要である。
○ 総体として考えた場合、一般の企業年金基金にとって重要なのは、疑いもなく受託者責任であり、スチュワードシップ・コードの内容に関心を持つべきなのは当然であるが、それに振り回されたり、受け入れを競うことなどは、慎むべきではないかと思われる。(以上)


番号:137名前:管理人日時:2019年09月10日00時15分27秒権限:利用
年金思さん 早速のコメント有難うございます。
在職老齢年金について、高在老は喫緊の課題ではなく、低在老の緩和を優先すべきだという、その考え方そのものが、在職老齢年金を温存してきたのだろうと思います。
低在老の背景には、労働収入も年金収入もあるのだから、年金給付を減らしてもいいという考え方がありました。ご存知のように、改定前の低在老の減額は、今よりずっと過酷で、年金受給者の就労を罰するようなものでした。
さらに、その減額は厚生年金に加入しているかどうかによるものであり、複数の企業で短時間の顧問をして多額の報酬を得ても、厚生年金の適用を受けなければ減額されないものです。
低在老の対象者がまだ少ない時に、就労抑制への影響を調べて、影響は少ないという判断もあったでしょう。これからの事態を、少数のこれまでのデータで分析しても、何の役にも立たないのは、当然のことです。現在の高在老は、企業の現や元の役員や元高級官僚が主体なら、減額されない働き方をすることは、造作もないでしょう。
在職老齢年金が、将来の代替率にマイナスの影響があることを問題視するなら、低在老見直しの方が影響が大きいわけです。低在老は、男性で2025年、女性で2930年と、まもなくなくなるのだから、議論しなくていいというのが、厚労省の姿勢でしょう。
この問題は、受給者Aさんがおっしゃっるように、保険料を払って年金給付の権利を獲得するという社会保険の本旨に関わるものです。働いたら年金を減らされる、というメッセージが、高齢者の就労意欲をどれほど阻害しているのか、私は、想像を超えると思っています。所得のない学生から国民年金保険料を強制徴収しようとして若者の年金制度への不信を煽ったのに匹敵する愚策ですね。
支給開始年齢の標準年齢の引き上げは、おっしゃる通り不可欠ですが、慎重に進める必要があります。ポロッと出すと、マスコミが寄ってたかって袋だたきにすることは、目に見えています。その状況下で、まず急ぐべきは、国民年金保険料の65歳までの拠出と、在職老齢年金の廃止による高齢者の就労意識と就労環境の向上ではないかというのが、私の考えです。


番号:136名前:受給者A日時:2019年09月09日19時04分06秒権限:利用
年金改革の「本位」を明確に - 財政検証から何を学んだか。
大磯小磯の記事と久保ドクターのコメントは示唆に富んでいる。オプション試算から推測される今回の年金改革案は記事にある3点に集中するのであろうが、年金受給者に直接関係する「在職老齢の廃止または一部変更」はそもそも現行公的年金が「社会保険」であるのだから給付が制限されることはおかしな話だ。給付条件を満たせば約束の給付は満額支払らわれるべきである。高額所得者は調整すべきであるとするのなら税金で調整するのが筋ではないか。年金以外に給与所得があるから年金を減額するのはおかしなことで、株で1億儲けても年金は減額されない。確かに年金の世界にも大きな「格差」があるのは問題である。それなら高齢者の所得や資産を合算して税で「年金戻し」を考えたらいい。
財政検証で「所得代替率」を理解しない多くの受給者は、将来自分の年金額が経済成長如何で61.7%から58.7%や50.8%に減額になると誤解している。2004の改正の現行の「財政フレームワーク」をすっかり忘れていて「マクロ経済スライド」も過去のことのように思っている。政府の広報の足りなさを痛感する。
年金受給者にとって今後大切な観点は 年金の「目減り」にあるはずだ。どこまで容認できるか受給者の辛抱が求められているようだ。


番号:135名前:年金思日時:2019年09月09日16時25分56秒権限:利用
財政検証を受けてさまざまな問題点が指摘されているが、ここでは2点疑問を出しておきたい。一つは在職老齢年金廃止の議論である。本来的には廃止でよいのだろうが、髙在老については現時点で重点的に議論する緊急性は感じられない。65歳以降で年金と賃金を合わせて月額47万円を超える人はかなり恵まれた人であり、これまでの調査を見ても支給調整が就労に与える影響は、ないか不明とされている。なおかつ今回の財政検証では廃止は財政的にマイナスの影響を及ぼす結果となっている。にもかかわらず、廃止が重点的な課題として議論されているのが不思議だ。むしろ、即刻廃止すべきなのは低在老であり、各種調査でも就労に影響を与えていることが示されている。しかし、低在老の廃止の議論はほとんど聞かれない。廃止ではなくてもせめて髙在老と同じ47万円に支給調整額を引き上げるべきだろう。髙在老は65歳以上の就労者の賃金水準が影響を与えるくらい上がってから考えても十分だ。原則論よりも現実と乖離しない議論が必要だと思う。もう一つは、支給開始年齢の議論だ。専門家でなくても65歳以降に支給開始年齢を引き上げる必要があることはうすうすわかっている。ところが、政治的な配慮からか政府や政治家は支給開始年齢はうやむやに口を濁し、繰下げ支給の範囲を75歳に広げるなどという変化球で国民を惑わせている。国民は不安だから将来は75歳いや80歳までもらえなくなるのではと思っている人もいる。支給開始年齢は主に老後期間に負うところが大きいと思うが、現状では70歳まで引き上げることを明確に宣言し、それに沿ったさまざまな改革や検証を進めるべきである。そのほうが、批判はあっても国民の不信を和らげ、結果的に理解が進むのではないか。70歳支給開始ということがはっきりすれば、数字的な検証も現実的で理解しやすい提示ができるだろう。


番号:134名前:管理人日時:2019年09月09日10時26分13秒権限:利用
年金時事通信19-011号 (作成日:2019年9月9日)
「年金改革の「本位」を明確に」2019年9月7日 日経朝刊15面

○ コラム/大機小機での論説で、「なんのための議論か、なにを解決しようとしているのか、を明確にしなければ議論の意味がない」との福沢諭吉の教えを引き、財政検証の公表による年金改革で、「根拠を欠く観念論を排し『本位』を定めた議論を期待したい」とする。
○ コラム子は、「長期で見た日本の経済社会の将来は、経済成長率の確保、技術革新で必然的に起こる格差拡大の抑制、増加する相対的貧困層の支援・活性化にかかっている。検討の『本位』をここに置くとおおむね次の3点に整理できるのではないか。」としている。
○ すなわち、第1に収入があると年金給付が減らされる在職老齢年金制度の廃止、第2に現在65歳の標準受給開始時期の繰り下げ、第3に非正規・短時間労働者への厚生年金制度拡大、というのである。公的年金制度の本来のあり方に沿ったものであり、まったく異論はない。
○ 一方、これに対し、在職老齢年金制度の廃止と、支給開始年齢引き上げの前段階の国民年金保険料拠出期間の60歳から65歳への引き上げについては、年金財政と国庫負担についての財源論が、厚生年金制度拡大については企業負担の増大が、制約条件とされている。
○ 経済学者の一部には、財源確保がなければ政策は実行できないとする向きがある。「無い袖は振れない」というのだが、あるべき姿を視野に入れない政策論議など、百害あって一利なしではないのか。「どうすれば可能か」ということを考えることにこそ、意義がある。
○ 厚生年金制度拡大への反対は、所詮、企業エゴである。目に余る非正規差別は、先進国では異常であり、被用者年金制度への加入は、当然のことである。激変緩和に経過措置を設けるにしても、当然負担すべき社会保険料を重荷とする企業に人を雇う資格はあるまい。
○ 「働いたら年金を減らす」という在職老齢年金制度の廃止は、高齢化の進展の中で、高齢者にも労働市場に可能な限り参加してもらうという趣旨からして、当然である。それが高所得者優遇になるというのなら、それを抑止する方策の方を考えるべきではないのか。
○ まず、税制での対応が考えられる。労働による収入は給与所得とされる一方、年金収入は雑所得に区分され、それぞれに優遇措置がある。これを労働収入も年金収入も給与等所得として一本化し、税制優遇も統合圧縮すれば、高所得者優遇の議論など吹っ飛ぶだろう。
○ この方策は、国民年金保険料拠出期間の60歳から65歳への引き上げの財源確保にも寄与することになる。そもそも、税と社会保障は一体で考えるべきである、ということは、「悪夢のような民主党政権」下で、政党を超えて合意された今後の方向性ではなかったのか。
○ 厚労省には、税での対応でも年金財政の方は悪化する、という考えがあるかもしれない。他人任せとしない方法なら、一定額以上の年金に対する物価スライドを抑止するという方法もある。そもそも、全国民の助け合いではない厚生年金に物価スライドは必須なのか。
○ 2019年9月6日付の日経朝刊23面の経済教室欄でも、神戸大学教授のチャールズ・ユウジ・ホリオカ氏も、年金制度改革の論点として、「働く意欲ゆがめぬ仕組み」を説いている。「本位」は明白になってきており、注力すべきは実現のための工夫ではないのか。(以上)


番号:133名前:管理人日時:2019年09月08日21時06分18秒権限:利用
年金時事通信19-010号 (作成日:2019年9月8日)
「財政検証(下) 年金「大幅減」に潜む誤解」2019年9月7日 日経朝刊19面

○ 「財政検証の読み解き方はかなり難しく、誤解も多い。例えば今の物価に換算した年金額そのものは、実は所得代替率ほど大きく減らないことはあまり知られていない。老後の資金設計には正確な理解が大切だ。」というものであるが、不思議な記事である。
○ 記事では、「財政検証が示すのは物価上昇を割り引いて19年の物価に換算した金額」だが、「大半の人は物価上昇によってかさ上げされた名目額と誤解している」とし、厳しめのケースⅤでも、年金の「モノを買う力=購買力」は…微減となるだけ」としている。
○ そもそも、表示されている年金額につき、「名目額と誤解」というのなら、誤解されないように表記すればいいのではないか。第1回の2009年財政検証での表示は、名目額(現在物価換算額)だった。それを現在物価換算額のみにしたのは、前回検証からである。
○ 現在物価換算額で「微減」なら、そう心配する必要はないのだろうか。とりあげられているケースⅤは、実質経済成長率0%、物価上昇率年0.8%、賃金上昇率年1.6%であるが、実質経済成長率0%で、継続的に賃金上昇率が年1.6%になることが、あり得るだろうか。
○ そもそも、賃金上昇率が恒常的に物価上昇率を上回るのなら、賃金生活者の生活水準は常に向上する。高度成長期には、そのようにして生活水準が向上したが、同時に求められる生活水準も高くなった。今はワーキング・プワーが深刻な話題になる時代である。
○ 先進諸国の生活水準は、かつてとは比較にならないくらい豊かになった。日本では、戦後の飢餓は忘れられたようになってきているが、世界中を見渡せば、飢餓に苦しみ、餓死している人々もまれなことではない。年金額の水準には、そんな視点も必要ではある。
○ されど、賃金対比の代替率が年金額の水準を測る指標とされているのには、歴史的背景がある。「受給者の年金の購買力は金額の方をみるべき」と、果して言えるのだろうか。長寿化で老後の期間は30年以上になる。30年前の暮らしぶりが、果して比較対象なのか。
○ 今回の財政検証の補足資料では、世代ごとに、受給後の代替率の推移も示されている(https://www.mhlw.go.jp/content/000540204.pdf)。それによれば、ケースⅤの場合、現在65歳の人の代替率61.7%・年金額22万円は、90歳時点では45.7%・19万円になる。
○ また、その場合の現在35歳の人が、65歳時点で受給する年金の代替率47.5%・21万円は90歳時点では37.6%・20万円になる(いずれも資料の26ページ)。現在物価換算額では大差がないことになるから、現時点での生活水準は確保され、心配ないと言えるのか。
○ 「年金の購買力は代替率ほど大きく減らず、老後をある程度きちんと支え続ける」、厚労省幹部は「我々の過去の説明が代替率に偏っていたのもよくなかった」と悔やむ、と記事は言う。だが、代替率が世界的に年金給付水準の尺度なのは、故ないことではない。
○ 加えて、その代替率は、本来は、引退前所得に対する年金水準との考え方もある。年功賃金体系の日本では、必ずしも適したものとは言えないが、従来の測定尺度を変えてまで、公的年金の財政状況を論じるのは、一層の不安・不信を煽るのではないか。(以上)


番号:132名前:管理人日時:2019年09月08日10時29分49秒権限:利用
年金時事通信19-009号 (作成日:2019年9月8日)
「年金再改革を政治に迫る財政検証」2019年8月28日 日経朝刊2面

○ 公的年金の財政検証に関する社説である。「若い世代に十分な年金が確保できない恐れ」「基礎年金の最低保障機能を強化」を説く。一方、同日付の朝日朝刊14面の社説は、「非正規雇用で働く人などが厚生年金に加入」「福祉政策での対応も含めて考える」とする。
○ どちらも、基礎年金の機能劣化を問題視し、「基礎年金の加入期間を40年から45年に延ばす」ことを提唱しているが、そもそも拠出は60歳までで給付は65歳からというのが異様なのだから、その対応は喫緊の課題である。それを阻むのは国庫負担の増加である。
○ しかし、10月からの10%への消費税増税は、社会保障財源のためではなかったのか。軽減税率やポイント制といった複雑な仕組みで国民生活への混乱が危惧されているが、民主党政権下での三党合意による「税と社会保障の一体改革」は、またも骨抜きである。
○ 今回の財政検証では、前回検証と大差ない結果とされているが、「百年安心」という虚妄の「百年しか持たない」有限均衡方式の下では、5年ごとに、百年後に収支がマイナスとなっている将来の5年分の期間が入ってくる。経済前提が同じなら悪化は必至だ。
○ ところが、今回は前回と大差ないというのである。その主因は、出生率である。前回は中位推計で将来的に1.35としていたものが、今回は1.44である。ちなみに、2009年と前回2014年の財政検証で、代替率50%確保可能としていた主因は、運用利回りであろう。
○ マクロ経済スライドにつき、日経では完全実施をかねてより主張しているが、減額が進むのは、基礎年金である。今回も、50%確保の経済好調ケースでも、基礎年金の減額は、前回より4年程度延びて2047年頃までになる。基礎年金いじめの本質が露呈している。
○ 基礎年金問題は、両紙とも認識している。日経は、「財源論とセットで本格的な制度改革」としているが、基礎年金の税方式化を視野に入れているのであろう。一方、朝日は、「生活が苦しい人への対応は、福祉政策での対応」と生活保護を匂わせる書き方だ。
○ しかし、いずれにしろ税財源を当てにするわけだが、そうすると、どうなるのか。もし、過去から税方式をとっていたなら、積立金は形成されていない。それは、負担の将来世代への一層の先送りを意味する。さらなる消費税の引き上げは、将来世代を苦しめよう。
○ 2004年改定以降、公的年金では、基礎年金を軽視し、厚生年金での対応を主眼とする政策をとってきている。非正規労働者の厚生年金への適用拡大は、そもそも排除してきたことが不当差別なのであり、当然推進すべきである。だが、足元では大きな変化がある。
○ それは、AIの急速な変化を背景とした労働市場の変化である。2019年9月8日付朝日朝刊1面「AI支配、大半が『無用者階級』に」は、「どんな仕事にも就くことができない階層が世界中に広がる可能性」を指摘している。もはや、夢物語とは言い切れない。
○ これに対し、世界中で研究されているのが最低所得補償のBI(ベーシック・インカム)である。公的年金が基礎年金劣化を放置するなら、公的年金不要論にまで発展しかねない状況を招くであろう。その危機感は、厚生年金派の連中にあるのだろうか。(以上)


番号:131名前:管理人日時:2019年08月25日09時31分20秒権限:利用
年金思さん コメントありがとうございます。
「特に個人型では自らの意志で加入するのだから運用商品を指定しないということが起こるのが不思議だ。」というのは、その通りだと思います。
ただ、個人型には、企業型から移って来る人もいます。その場合には、掛金を拠出しない選択は可能ですが、移換金の運用は必要になります。
ところが、企業型から個人型への移換を行わない人も、少なからず発生しているわけですよね。
その場合には、資金は国民年金基金連合会の当座預金に移るわけですが、これは確定拠出年金の資金として認められていません。
その規模は、2016年3月末時点で、33.8万人(残高0円を除いたもの)、資産額は1,428億円とのことです(厚生労働省の資料)。

この状況には、厚生労働省も頭を痛めており、事業主や運営管理機関に、あれやこれやの対応を指示していますが、本気になれば対応は簡単です。
現在は、国民年金基金連合会自身は運営管理機関にはなれないこととなっていますが、その状況を改め、
国民年金基金連合会の特定の当座預金に限って、運営管理機関としての役割を認めればいいのです。
そうすれば、確定拠出年金の資金が宙に浮くことにはなりません。
個人型は、誰でもが入れることとなったとされていますが、ならば、宙に浮かないような受け皿を用意するのは当然ではないでしょうか。
この受け皿が、当座預金という元本確保型商品でなければならないのは当然のことで、国民年金基金連合会や運営管理機関には、
自らの意思で、さらなる移換先と運用商品の選択を促すようにすることが、確定拠出年金法の本旨に沿ったものと言えるでしょう。


番号:130名前:年金思日時:2019年08月22日11時46分59秒権限:利用
年金時事通信19-008号に関して
元本確保型とくに預金がDCの運用商品として批判されるのは、長期化した低金利の現状とリーマンショック以降に順調に上昇を続けた株式相場という投資環境が大きく影響しているのだろう。リスク商品への投資がやりやすい環境にあるといえる。長期的には株式投信などのリスク商品が資産形成に有利で重要であることは確かであるが、現状では預金が過大に軽視されている気がする。とうとう預金を外した投信だけを運用するコースも現れた(三井住友銀行が個人型に9月よりコースを新設とのこと)。投資環境は変化するものであり、長期の資産形成の原則である分散投資の視点からは預金などの元本確保型商品にもそれなりの役割があるはずだ。商品構成には入れて加入者の選択に委ねるべきだろうし、預金偏重の是正は投資教育で浸透させるべきだろう。また、指定運用商品に投信を設定するのが流れとなっているが、そもそもなぜ加入者が運用商品を指定しないということが起こるのだろうか。特に個人型では自らの意志で加入するのだから運用商品を指定しないということが起こるのが不思議だ。現状では運用商品を指定しなくても加入手続きができてしまうが、運用商品を選定しないと加入手続きができないようにすることはできないのだろうか。


番号:129名前:管理人日時:2019年08月21日11時21分06秒権限:利用
年金時事通信19-008号 (作成日:2019年8月21日)
「企業型の確定拠出年金、「投信運用が基本」じわり」2019年8月18日 日経朝刊2面

○ 「投資信託によるリスク運用を初期設定(デフォルト)とする企業の確定拠出年金(DC)が増え始めた。DCの窓口業務などを担う運営管理機関大手10社によると、2018年度末で1年前の2.7倍になった。」との記事である。だが、記事の構成は誤解を招きやすい。
○ 記事には、図表が掲載されている。この下部のグラフは、企業型DCの集計総数と、そのうちの投信をデフォルトとするものとを比較したものであるが、ぱっと見には、後者が半数をこえるものとなっている。しかし、それは目盛りが違っているためなのである。
○ 図表の上部には、投信デフォルトの企業型DCが10%を超えたグラフがある。情報量としては、それだけでよいはずだが、下部のグラフを付加した意図は、読者を惑わせ、もはや投信デフォルトが主流であるという誤解をさせるものと思われても仕方あるまい。
○ 2018年5月に施行された改正DC法では、「投信を初期設定の金融商品にしやすくなった」「元本確保型の商品は必須ではなくなった」という改定が行われた。だが、これは、「個人が自己の責任において運用の指図を行(う)」というDC法の趣旨に合致しているのか。
○ もちろん、「国内の金利は物価上昇率より低いため資産が目減りする」という側面はある。しかし、過去を振り返れば、物価上昇率がマイナスの場合も、少なくなかった。そうした状況では、株価も低迷することが考えられ、投信が有利とは必ずしも言えない。
○ 何より大事なのは、リスクを取るか否かは、個人の選択によるものでなければならない、という当然のことではないのか。外貨建ての保険やかんぽ保険にみるように、お任せや過度の信用では、大事な資産を守ることはできない。その教訓は、どうなっているのか。
○ もとより、元本確保型の投資商品にも、インフレによる減価のリスクはある。しかし、それは名目価値を重んじる個人にとっては、想定内のリスクであろう。だが、デフォルト投信によるリスクは、選択を行わない個人にとって想定外のリスクなのではないか。
○ そもそも、金融機関が投信をデフォルトにしたい理由は、見え透いている。それは、手数料が高いからであろう。記事の仕組み型の「ターゲット・デート・ファンド」については、途中での解約・乗り換えの場合のコストは、最も高いのではないかと想定される。
○ 銀行や郵便局に、国民が寄せてきた信頼や信用は、資産を安全に管理してくれるという点にあったろう。それが、貸出と預金の利ザヤでは利益が出なくなったことから、保険の販売や投信の販売といった購入者にリスクを押し付ける手数料商売が主流になった。
○ 記事は「米国では06年の法改正を受け…投信を初期設定の商品に選ぶこと」を容認というが、「2006年秋以降、大手企業の401(k)プラン手数料に対する訴訟が次々と申し立てられた」そうである(http://www.nicmr.com/nicmr/report/repo/2007/2007sum14.pdf)。
○ 自己責任を個人に求める確定拠出年金では、リスクを理解した上で投資商品を選択できるようにするための投資教育と、投信などの投資商品の手数料の明確化・適正化が欠かせない。そのための着実な取り組みのない「改革」は、邪道と言うしかない。(以上)


番号:128名前:管理人日時:2019年07月05日19時53分56秒権限:利用
Inodaさん 早速のコメント有難うございます。
適年からの移行は、思ったように進まなかったな、と思っていましたが、500万人減という数値には、私も改めて驚きました。

行政の流れも、イデコを含め、確定拠出年金制度に向かっているような気がしますが、金融機関が興味を持っているのは資産がたまる積立段階だけで、
手数のかかる給付段階は、お荷物と考えている節があります。
実際にも、確定拠出年金制度で年金給付を選ぶと、支給の都度に手数料がかかるということがあるようです。
そのためか、一時金を選ぶ人が圧倒的ですが、多額のストック資金を抱えている人は、振り込め詐欺の恰好の標的になるでしょう。

そもそも、自動車免許すら返納すべきとされている高齢者に、自己責任の運用など、できるはずはありません。
ストックではなく、年金というフローの給付に切り替えることが、DBのみならず、DCでも、非常に重要だろうと思います。

このペーパーの前半部分で、また2000万円の話で辟易するとなるのを危惧し、「リレー型DB」に絞った短縮版も登載しました。

なお、『投資教育サポート問題集』も発刊に到り、HPでご紹介しています。


番号:127名前:Inoda日時:2019年07月05日15時02分25秒権限:利用
年金論の講義585人はすごいですね、おめでとうございます。
今回のWEB論文、勉強になりました。ありがとうございます。
「いまさら?」という感想で申し訳ないのですが、久保さんの論文で僕が最もビックリしたのは、適年からの移行がうまく進んでいないという事実です。金融審議会のWGについては、つい最近も慶應の権丈先生が批判的に書かれておりましたが、2000万円という数字のインパクトばかり強調されていて、年金制度の本質的な議論がまったくされないのは悲しい限りです。
もともと論文に書かれている通り、少し不安を煽って投資に向かわせたいのでしょうけど、いつもの通りマスコミが間抜けな政治家を巻き込んだ状況に辟易しました(ほとんど報道は見聞きしていないのですが、笑)。
今回提案されているリレー型DBは、適年からの移行がほとんど失敗し、「減ったとしても、公的年金が老後の支えの中核になる。」という基本かつ当然の認識から非常に重要だと思います。生命保険などはリレー型年金のようなキャシュフローに変えることが出来たりしますが、こういった制度の導入を考えたり議論することで、まともな社会保障についての良い動きが出来てくればと思います。


番号:126名前:管理人日時:2019年07月01日22時29分11秒権限:利用
WEB論文の項に『老後への備えとリレー型DB(確定給付企業年金)導入の緊急性』を登載しました。
皆さんからのコメントやご意見をお待ちしています。    久保知行


番号:125名前:管理人日時:2019年06月02日01時16分30秒権限:利用
Inodaさん、コメントありがとうございます。
現在、日本大学経済学部の『年金論』の講義(受講登録者は、昨年度から倍増して何と585人)と、DCプランナー試験用の問題集(6月末までに発刊予定)の作業に追われていて、掲示板のチェックが遅くなりました。私は、BIの問題は公的年金制度にも直結するので、年金関係者としても真摯に向き合う必要があるのではないかと思っています。
一方、5月27日と28日には、日本年金数理人会の30周年記念事業が、華やかに行われましたが、企業年金の実施率が低下している上で、DBからDCに移っていることに対する切迫した危機感が感じられるものではなく、このままだと、日本の年金数理人も、DBが死滅状態になった英米と同様に、影の薄い存在になるだろうな、と感じました。
基調講演で、厚生年金基金の代行割れの問題に、早期に真摯に取り組まなかったことで、厚生年金基金制度の実質消滅に至ったことは、年金数理人にとっての反省事項であるという話がありました。
そういう気持ちがあるのなら、ソニーやパナソニックといった大企業がDBの廃止→DCへの全面移行に踏み切ったことについての分析や対策の検討、あるいは適年の後継制度としてDBがあまり活用されなかった事態の分析や対応の検討が、何故進まないのだろうかと思います。このままだと、「座して死を待つ」ことになるのではないかと思います。


番号:124名前:Inoda日時:2019年05月18日10時47分33秒権限:利用
「BIは現実的か」について、「 BIのような制度が『今も昔もない』のは当然である。社会の変化の中で、様々な対応が行われてきた。年金制度等の社会保障制度とて、その誕生前には、『今も昔もない』と言われていたのではないか。必要なのは、課題に向き合う強固な意志であろう。」というご意見に賛成です。
私は、BIについては自分でも勉強不足ですし、支持するわけではありませんが、議論が単純に過ぎると感じています。様々な国が様々な歴史や文化を持つ中で、北欧やカナダなどで実験が行われたり(中止になったり)しておりますが、いろいろな角度から検討すべきで、様々なアプローチや解釈があってしかるべきだと思います。


番号:123名前:管理人日時:2019年05月16日06時52分10秒権限:管理
年金時事通信19-007号 (作成日:2019年5月16日)
「BIは現実的か」2019年5月14日 朝日朝刊10面

○ コラム/経済気象台における論説で、「格差問題の解決策として『ベーシックインカム(BI)』が議論されている」ことに対して、「BIは現実的か」「『政策を売り歩く経済学者たち』に惑わされていると真の改革の道筋を見失うだけ」とするものである。
○ 論者は、「BIとは(1)人が生活を営むのに必要な基礎的生計費を(2)年齢・性別、家族形態・収入・雇用状況にかかわらず全国民に権利として支給する、というもの」とし、「双方を満たす制度を行った国など今も昔もない」と、否定的見解を示している。
○ 「基礎的生計費」を「仮に生活保護の水準を参考に単身世帯で月約8万円としても、全人口に配れば費用は軽く年間100兆円を超える。社会保障制度を全て廃止しても足りない。」とし、「医療も介護も保障がなくな」る、という財政問題が最大の論拠である。
○ しかし、このような極論は、AIの進展により既存の職を失う人々が大量に出現しかねず、格差が一層拡大する懸念があるという危機感の中で、対応策の一つとしてBIを検討している人々をあざ笑うものであり、それこそ「百害あって一利なし」というものだろう。
○ BIを検討する際には、同様の機能を持つ生活保護と基礎年金との関係を、考えずにはいられない。BIの導入は、それらの廃止につながるというのは、短絡的な発想であり、「社会保障制度を全て廃止」というのは、現実的な政策立案の視点から、暴論に過ぎない。
○ 基礎年金を含む公的年金の年間支給額は、50兆円を上回る。すなわち、年金受給者をBIから除外すれば、「年間100兆円」は半分の規模になる。問題は、現役世代の所得保障のための生活保障機能を担う生活保護を、BIとどう結びつけるかということになる。
○ 生活保護の最大の難点は、支給が「給付」の形で行われ、保護対象者の資産と混在一体になってしまうことである。そのため、扶養責任を一切果たさなかった親族が、保護者の死後に相続財産として、「給付」部分についても簒奪することを許す難点がある。
○ 筆者は、この点こそ、最大の問題点であるとして、「給付」を「貸付」に転換することを、かねてより主張してきた。「貸付」なら、保護分は明確に区分することができ、また、それを返済することにより、保護を脱却して自立に復帰する目標の明示にもなる。
○ BIは、「働かなくても暮らせる」社会につながるものであってはならない。そんな社会は、存続し得るものではない。目的とすべきは、あくまでも、AIなどによる産業転換の時期にあって、最低限の生活を保障し、変化にさらされる国民を支援することであろう。
○ この観点からすれば、「給付」である必要は、さらさらない。「貸付」によって一時的保護を行い、職業に復帰できた際に、その「貸付」を返済してもらえばいいのである。返済が完了すれば「自立」となり、返済できない分は、所詮、国家が負担するしかない。
○ BIのような制度が「今も昔もない」のは当然である。社会の変化の中で、様々な対応が行われてきた。年金制度等の社会保障制度とて、その誕生前には、「今も昔もない」と言われていたのではないか。必要なのは、課題に向き合う強固な意志であろう。(以上)


番号:122名前:管理人日時:2019年03月14日00時14分34秒権限:利用
年金時事通信19-006号 (作成日:2019年3月13日)
「公的年金、運用想定甘く 厚労省、財政検証に着手」2019年3月8日 日経朝刊2面

○ 「公的年金制度の健全性を確認する5年に1度の財政検証が始まった。(6通りのうち)4つの想定利回りは過去の年金運用の実績を上回っており、…甘い想定に基づく点検は年金給付の過度な運用依存を招き、そのツケは将来世代に回りかねない」との記事である。
○ その内容は、社会保障審議会の年金財政における経済前提に関する専門委員会で示されたもの(https://www.mhlw.go.jp/content/12506000/000486002.pdf)である。「案」となってはいるが、その前提で財政検証を進める方向に進んでいくことは確実であろう。
○ 記事では、経済前提の6つの2029年度以降の長期の前提を表示し、「6つのシナリオのうち4つが過去の実績を上回る運用成果を長期的に上げる想定になっている」ことをして、「前提となる運用利回り想定が甘い」と結論づけているような書き方になっている。
○ 記事の問題意識は、筆者も共有するところであるが、この記述では、いささか説得力に欠ける。というのは、名目運用利回りは、物価や賃金の水準に大きく影響されるので、それらの過去と将来の水準の違いを考慮しないと、適切な考察ができないからである。
○ そこで、経済成長と労働参加が進むケースに絞って、数値を子細に見てみよう。2016年財政検証で基本的想定と受け止められたケースCでは、2024年度以降について、経済成長率0.9%、物価上昇率1.6%、実質賃金上昇率1.6%、実質運用利回り3.2%であった。
○ これと対比するものを今回のシナリオで探すと、5年ずれている違いはあるが、ケースⅠが、2029年度以降について、経済成長率0.9%、物価上昇率2.0%、実質賃金上昇率1.6%、実質運用利回り3.0%となっている。その比較では、前回よりも甘い想定には見えない。
○ また、運用利回りを対物価の実質ではなく、対賃金上昇率のスプレッドで見ても、前回ケースCの1.4%に対して、今回ケースⅠでも1.4%と同じであり、これも前回よりも甘い想定であるようには見えない。この辺りは、相当腐心して設定されているのであろう。
○ では、問題は何か。「今回からは、運用利回りの設定に当たっては GPIF の運用実績を活用」とされている。記事では、「GPIFはより大きな利回りを得るため、14年に全体の24%にとどめていた株式の運用比率の目安を50%まで高めた」ことに言及している。
○ 故に、「こうした運用改革の結果、年金積立金が抱える運用リスクは高まっている」のであるが、そのことは考慮されていない。リスクを考慮しなければ、さらに高い運用利回りを設定するために、よりリスクの高い運用ポートフォリオにすることも起こり得る。
○ 2014年10月31日実施の運用ポートフォリオの変更で、運用リスクは高まったが、そのことが及ぼす影響は、財政検証で開示されていない。複雑な内容にはなるが、例えば、スプレッドがゼロになる確率と、その状態での財政状況などを示すことは可能であろう。
○ 財政検証で示すべきは、何とかうまく行きそうな姿ではない。将来に生じ得るリスクと、それに対する対応策である。「百年安心」という虚構のキャッチフレーズの下で行われた2004年改定の正当化を主眼に置くなら、問題は先送りされるだけである。(以上)


番号:121名前:管理人日時:2019年03月03日13時45分38秒権限:利用
119の島津輝明さん コメント有難うございます。
「定年延長を民間企業に国家が強制することはできない。定年退職をさせられないとなったら、企業の採算は成り立たない。」という点ですが、「定年」というのは、その年齢での雇用打ち切りの反面で、その年齢までの雇用保障の面があります。正規と非正規の区分が大きな問題になるのは、この後者の雇用保障の有無によるわけです。
ご主張の公務員を「文字通りの終身雇用」ということは、定年撤廃の考えになるかと思いますが、欧米、特に英米では、年金による解雇は制限されている代わりに、能力による解雇は、一般的に行われています。つまり、定年撤廃なら、業務効率は、厳しくチェックされるわけです。このことは、正規と非正規の同一労働同一賃金の流れでも出てきます。正社員の労働組合は、雇用保障の延長である「定年延長」は安易に主張しますが、業務効率を問われる定年撤廃まで主張するところは見当たらないと思います。
「収支を度外視しても許される事業体がある。官公庁である。」というのは、国民が納める税金によって成り立っている組織であることを無視した見解ですね。「休まず、遅れず、仕事せず」と揶揄される公務員の「定年撤廃」には賛成でずが、「定年延長」の延長線上にある「終身雇用」なら、すでに多額の財政赤字を抱える日本国の破綻を早めるだけでしょう。そもそも、一つの企業に全人生を預ける時代は、過去のものとなりつつあります。新聞紙上でも様々な事例の紹介がありますが、能力のある人、特に若者にとって、「終身雇用」は、「年功序列」ともども、何の魅力もないものとなってきています。


番号:120名前:管理人日時:2019年03月03日13時19分21秒権限:利用
117の年金思さん コメント有難うございます。
70歳までの年金繰り下げに対して、それまでに死亡した場合には、遡って65歳からの受給を選択すれば、死亡時までの年金が未支給年金として一時金で支給されることは、おっしゃる通り、世間には周知されていませんし、マスコミも、あまり説明していないですね。この取り扱いは、要するに、65歳時点からの支給を選択しなかった、というだけのことですので、時効にならない5年間分は、遺族が請求すればいい、未支給の年金分として支給されるわけです。つまり、当面、年金をもらわなくても困らない人にとっては、65歳で年金の支給裁定請求を行わないことにより、年率8.4%で年金を増額することができ、もし死亡しても、利息はつきませんが、65歳からの分の年金を回収できるわけです。
年金思さんは、70歳を超えての受給開始年齢の選択制に、金持ち優遇と反対されていますが、時効5年は、どうなるのかなと思います。5年のままだと、65歳からの分が時効で消えていくことになりますので、大分、様相が変わって来ますね。そうすると、年金思さんの「金持ち優遇」の批判は和らぐことになりますが、目先の利く金持ちは、そんな選択はしないのではないかと思います。
一方、高在労を廃止せず、「年金停止というはっきりした財源を年金版所得再配分というか基礎年金への拠出金に回すといったほうが有益ではないか」という点についてですが、在労は、厚生年金部分ですので、「基礎年金への拠出金に回す」ということに国民の合意が得られるか、という疑問があります。
私は、厚生年金は強制企業年金のようなものだと思っており、マクロ経済スライドの完全実施や、そもそもスライド制を制限すべきではないかと思っています。その上で、高所得者には、年金であっても課税強化して、基礎年金の国庫負担にも寄与させるのが、本来の姿ではないかと考えます。まあ、これを阻害するのが、財務省と厚生労働省との縄張り争いですから、やはり、税と社会保険料を一体徴収する内国歳入庁での対応が先決ではないかと思いますが。


番号:119名前:島津輝明日時:2019年02月10日08時08分47秒権限:利用
年金時事通信19-004号「75歳年金選択は改革にあらず」に関して。
 高齢者の定義を65歳ではなく75歳にしてはどうかという医学会の提案もあるし、医療保険では75歳以上を別建て高齢者制度としている。そうすると老齢年金支給開始を65歳ではなく75歳にしようというのは既に実施されていなければならない事項である。
 男性の平均寿命は現在81歳。65歳受給を起算点にすると16年、75歳起算では6年であるから、16年間受給が6年間受給になって、受取年金額は37.5%に減じる。これはひどいし、給付減額率62.5%で年金財政は大黒字になるだろうと思ってしまう。これが新聞の論説のようであるが、管理人の指摘通り、これはとんでもないデマ情報である。
 正しく平均余命で計算すれば数値は全く違ってくる。65歳者の余命は19年で、75歳者の余命は12年。そうすると支給開始年齢を65歳から75歳に引き上げても従前の63%の受給になり、財政貢献は37%に過ぎない。年金罪史絵を維持しつつ、かつ老齢年金を意味ある金額にするには、75歳支給でも不十分というのが、今、国民が直視すべき現実なのである。
 支給開始年齢を引き上げるには、高齢者の就業先の確保が伴っている必要があるというのはその通りだ。若いときに起業して資産形成できたものを除けば、収入源は自身の体力というものが大半である。しかし定年延長を民間企業に国家が強制することはできない。定年退職をさせられないとなったら、企業の採算は成り立たない。
 そこで提案だが、収支を度外視しても許される事業体がある。官公庁である。公務員の定年を65歳にまで延長することになっているが、中途半端ではなく、この際、文字通りの終身雇用としたらどうか。客観的に職務に堪え得ないと判断されるまで、公務員の身分を保証し、給与を支給する。ただし年功賃金はやめ、役職定年を設ける。60歳以降は基本的に世の中の平均的な非正規雇用並みの給与に抑え、扶養する18歳未満の子がいる者に限って手当を加算する。家は購入済みだろうから住宅手当は不要。もちろん退職の自由は保障される。大手企業の中には徐々に官公庁を見習うところも出てくるだろう。
 年金は長生きをリスクとした「保険制度」である。この原点を踏まえなければならない。



番号:118名前:管理人日時:2019年02月09日16時46分37秒権限:利用
年金時事通信19-005号 (作成日:2019年2月9日)
「日立、「第3の企業年金」導入 4月から」2019年1月28日 日経朝刊3面

○ 「日立製作所は4月に企業年金の運用リスクを労使で分担する新たな制度を導入する。…企業があらかじめ資金を多めに拠出する代わりに運用次第で給付額が減るリスクを従業員が負う。…年金財政の悪化に備えた制度に切り替える。」という記事である。
○ 「リスク分担型企業年金で、厚生労働省が2017年1月に創設した」もので、「企業が将来の年金額を約束する『確定給付型企業年金(DB)』と、従業員が運用を担う『確定拠出型企業年金(DC)』との中間的な制度」なので、「第3の企業年金」と呼ばれている。
○ 制度の創設から2年で、僅か6件の導入実績だったのが、日立の導入で、「検討が広がりそう」としているが、果してそうなるであろうか。筆者は、疑わしいと思っているし、日立の今回の動きは、経営上の判断として適切なのか疑問を感じずにはいられない。
○ 退職給付会計では、「確定拠出制度」とは、「一定の掛金を外部に積み立て、事業主である企業が、当該 掛金以外に退職給付に係る追加的な拠出義務を負わない退職給付制度」とし、「リスク分担型企業年金」のうち「企業の拠出義務が、標準掛金相当額、特別掛金相当額及び リスク対応掛金相当額の拠出に限定され、企業が当該掛金相当額の他に拠出義務を実質的に負っていないものは、確定拠出制度に分類」とされている。
○ そうすると、退職給付会計での「確定給付制度」としての債務認識の対象外となるというのである。しかし、年金制度上の区分では、「第3の企業年金」が創設されたわけではなく、「リスク分担型企業年金」は、あくまでも、確定給付型企業年金(DB)である。
○ 一方、国際会計基準IAS19「従業員給付」では、確定拠出制度(Defined contribution plans)を、「実施主体が一定の拠出を行った後には、給付を賄う資金不足が生じた場合であっても、法的ないし事実上の拠出義務を負わない制度」と定義しており、似通ってみえる。
○ このIAS19での適用区分について、オランダのCDC(集団型確定拠出年金)の取り扱いが問題になった。これについては、板津直之氏の論文「リスク分担型企業年金とIFRS」(http://www.nicmr.com/nicmr/report/repo/2016/2016spr09web.pdf)が考察している。
○ 結論的に言うと、オランダのCDC制度は、DBに位置付けられる可能性も十分にあるとされている。なお、「DC」の語を用いているが、資産運用は個人ベースではなく全体ベースであり、実態としては、DBの給付を運用結果で減額できる制度ということである。
○ 日立の「リスク分担型企業年金」の詳細は不明であるが、給付の減額が必要になった場合、どのように実施されるのだろうか。退職している年金受給権者の給付減額は、非常に困難であろう。彼らは、年金資産の運用方針に関与しているとは思えないからである。
○ すると、結果的に追加拠出が必要になることも考えられる。そもそも、給付が拠出済の掛金のみで賄われるのではなく、今後の掛金も充当することになる制度を、「確定拠出制度」とするのには無理があると考えざるを得ない。退職給付会計での「確定給付制度」の区分回避目的の「リスク分担型企業年金」の採用は、適切とは思われない。(以上)


番号:117名前:年金思日時:2019年02月09日13時09分57秒権限:利用
年金時事通信19-004号に関して
70歳以降の繰り下げに関しては番号92でも述べたが、現段階では意味がないといってよい。管理人の指摘するように支給開始年齢自体の引き上げの検討がもっと正面から議論されるべきだ。国民の理解を得るためには、引き上げだけを議論するのではなく関連する課題の検討と一緒に議論される必要がある。つまり、65歳以降に働ける環境の整備なくしては先に進まない。70歳まで働く環境づくりにはさまざまな課題があるのでこうした課題を具体的に議論して深めていくとよい。同時に少なくとも65歳まで国民年金加入義務期間を延ばすことも必要となる。
70歳以降の繰り下げに話を戻すとかなり恵まれた人しか対象にならないし、現状のままではもし、何かの都合で繰り下げをやめたときに一時金受給が保障されなくなる。つまり70歳を超えた繰り下げ待機中に一時金選択しようとすると5年時効にかかって5年より前の部分は失うことになる。実は、繰り下げ選択ではいざというときの一時金選択の逃げ道があることが重要である。現状で1%か2%しか繰り下げ選択がない重要な理由の1つは繰り下げで早く死んだら損するというものである。いくら理屈では得だとわかっていてもこれが人情である。だから、手続きをするまではいつでもキャンセルでき損得はないという安心感は大きなポイントとなる。ところが、繰り下げによる増額ばかりがアピールされて一時金選択ができることはほとんど語られない。これでは繰り下げ増額の周知が進んでも、また75歳に延びようが選択する人の大きな増加にはつながらないだろう。一時金選択は本来の趣旨に反するということなのだろうが、もっと一時金選択を周知するほうが繰り下げ選択の増加に効果があるのではないだろうか。損がないなら65歳で請求手続きをせず、できるだけ頑張ってみようかという気になる。
在職老齢年金の廃止論議についても、現状で高在老に手を着ける必要はないと考える。一般の65歳以上の労働者はまず影響を受けることはないし、高所得者は停止がかかっても困ることはないだろう。年金制度ではなく課税で対応という考え方もあるかもしれないが、むしろ年金停止というはっきりした財源を年金版所得再配分というか基礎年金への拠出金に回すといったほうが有益ではないか。在職老齢年金で早急に着手すべきはむしろ低在老の廃止である。28万円による支給停止は多くの受給者が影響を受け、まさに就労意欲に大きな影響を与えている。いずれなくなると手を着ける動きがないが、すぐに廃止すべきものだと考える。


番号:116名前:管理人日時:2019年02月08日17時04分09秒権限:利用
年金時事通信19-004号 (作成日:2019年2月8日)
「75歳年金選択は改革にあらず」2019年2月1日 日経朝刊19面

○ コラム/大機小機での論説で、「厚生労働省は年金の受給開始年齢の75歳への繰り下げの検討を始めた」が、「年金財政の改善には何ら結びつかない」として、「抜本的な年金改革である年金支給開始年齢引き上げをしないことの目くらまし」とするものである。
○ この論説には一理あると思える点が多いが、「厚生年金(男性)の支給は、2025年に65歳に引き上げられるが、平均寿命の80歳まで15年間も年金を受け取れる」といった記述は、問題の深刻さをかえって矮小化する感じとなるもので、少々残念なところである。
○ 平均寿命の国際比較(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life17/dl/life17-04.pdf)で見れば、日本の男性は81.09歳だから、「80歳まで15年間も年金を受け取れる」ということになる。しかし、支給開始年齢の引き上げを論じるのなら、平均余命でなければなるまい。
○ 平成27年国勢調査に基づく国民生命表によれば、男子の平均余命は、65歳時点で19.41年となっている(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/22th/dl/22th_02.pdf)。つまり、65歳まで生き延びた日本人の男性の年金受給期間は、平均的に約20年の長さになるのである。
○ もちろん、この論説は限られた紙面であるし、国際比較も行っているから、平均寿命を使わざるを得なかった事情は理解できる。ただ、75歳から受給した場合の男子平均余命12.03年に言及しないと、単純に「年金財政の改善には何ら結びつかない」とは言い切れなくなる。
○ 男子で受給開始を65歳→75歳に繰り下げた場合、金利をゼロとした場合の財政均衡の年金倍率は、19.41÷12.03=約1.6倍になる。「2倍程度となる」ということだと、一定の金利を考慮したものということになるが、この倍率水準次第では、年金財政の悪化となる懸念もある。
○ ただ、それでも政府の側には、支給開始年齢の引き上げではなく、受給開始年齢の選択と言いたい事情があるのだろう。恐らく、それは、過去の「支給開始年齢の引き上げ」の議論を持ち出した際の、マスコミや世論の激しい反発に対するトラウマではないかと思われる。
○ 冷静に考えれば、「他の先進国では、日本よりも平均寿命が短く、支給開始年齢が67~68歳のため、平均10年間である」という状況からして、日本で、支給開始年齢の引き上げを避けて通れるはずはない。議論の先送りは、将来世代に対して無責任極まりないことである。
○ だが、国民の側にも、この支給開始年齢の引き上げには、不信感がある。そもそも欧米では、引退年齢と年金の支給開始年齢は接続している。ところが、日本の過去の支給開始年齢の引き上げは、定年が据え置かれたままで行われており、空白の期間が生じるものであった。
○ 現在、段階的に引き上げられている支給開始年齢まで、雇用延長が義務付けられているが、それも65歳までであるから、65歳を超えて年金支給開始年齢が引き上げられれば、またしても空白期間が生じるわけであるから、世論の、そして迎合するマスコミの反発は必至だろう。
○ そこで政府は、働き方改革を前面に出し、年金は受給開始年齢の選択肢拡大という戦略に出たのである。だが、先行のスウェーデンでも、実際の年金受給は若い人ほど早期化する現象が出ている。やはり、支給開始年齢の引き上げは真正面からの議論が必要なのだが。(以上)


番号:115名前:管理人日時:2019年01月27日11時10分45秒権限:利用
年金時事通信19-003号 (作成日:2019年1月27日)
「延びゆく定年後 高まる資金不安 毎月の不足額拡大」2019年1月26日 日経朝刊8面

○ 平成の30年を振り返り、「長くなる定年後の人生とじわり減り始めた公的年金。そして超低金利が続く中での運用難。高齢者の間に老後資金の不安が強まったのが平成の30年だった。多くの高齢者は「長く働く」ことに解を求め始めている。」という記事である。
○ 寿命が延びる中では、現役生活と引退生活のバランスを考えれば、「長く働く」必要があるのは自明の事である。就労期間を延ばすためには、定年の制度を廃止し、年齢を問わずに就労できる様々な機会の提供が必要だし、そのための研鑽も重要になってくる。
○ こうした中、公的年金の支給開始年齢の引き上げや給付の抑制も当然必要になる。それに対して、補完的な役割を果たすべきなのが、企業年金や個人年金なのであるが、そこには大きな問題が横たわっている。すなわち、企業が保証する年金給付の消滅である。
○ 記事にもあるが、日本の企業年金は、「かつては将来の年金額が決まっている確定給付型(DB)が主力だった」のが、「会社が出す掛け金を、個人が預貯金や投資信託などで運用し、結果次第で年金額が増減する」確定拠出年金(DC)に切り替わってきている。
○ このDB→DCのシフトは、米英では特に激しく、今や、DBの対象となっている従業員は激減している。特に、新入社員については、DBは提供されていないに等しい。日本のシフトが少し緩やかなのは、欧米では必須の終身年金が義務付けられていないからだろう。
○ だが、記事にあるように、「パナソニックは13年にDBの全額をDCに切り替えた。ソニーも今年9月に国内社員約3万人がDCに移行予定」であり、シフトは着実に進んでいる。今後を考えれば、いやがおうでも、個人はDCに向き合わざるを得ない状況になっている。
○ これに対し、記事は、「問題は個人がDCを有効活用できていないこと」とし、「初期設定商品(デフォルト)」を投資信託とし、DC経由で半ば自動的に投信が買われる米国型を目指さないと、「DCによる老後資金づくりがいつまでも進まない恐れがある」とする。
○ だが、そもそも確定拠出年金制度の創設時の謳い文句は、「個人が自己の責任において運用の指図を行い、高齢期においてその結果に基づいた給付を受けることができるようにする」(確定拠出年金法第1条)ではなかったのか。記事の論調は、これに合わない。
○ 「投資教育だけで自主的な投資を促すのは限界がある」と記事はするが、そもそも金融業界が真摯な教育努力を続けてきたのか疑わしい。毎月分配投信を年金代わりとして販売したり、投信の高コスト手数料を放置してきた責任など、一体どう考えているのか。
○ DB→DCのシフトについての本質的な問題は、積立段階ではなく、受給段階にあるというのが、筆者の見方である。DBでの定期的給付が失われ、DCでは受給段階で定期的給付を確保する途は、個人単位の年金商品の購入しかないが、その魅力は乏しいのである。
○ 引退後の高年齢期に、自己責任で運用と言ってみても、戯言である。積立段階がDBであれDCであれ、受給段階には、そうした資金をまとめて運用して、定期的給付に変換してくれる「年金給付機構」の創設が必須だというのが、筆者年来の主張である。(以上)


番号:114名前:管理人日時:2019年01月27日03時42分14秒権限:利用
年金時事通信19-002号 (作成日:2019年1月27日)
「「iDeCo入れぬ」意外な盲点 企業型確定拠出の一部で」2019年1月16日 日経朝刊9面

○ 「掛け金が所得控除の対象となるなど節税効果」がある個人型の確定拠出年金」の「20~60歳の全国民が加入できる」「iDeCo(イデコ)」に、「企業型の確定拠出年金の一部加入者は入れない課題がある。普及を妨げる意外な盲点になりそう」との記事である。
○ 理由は企業型確定拠出年金の掛け金を加入者の任意で上乗せできる「マッチング拠出」を導入している場合には、加入できないのであるが、マッチング拠出の掛金は賃金の低い若手の間は少ないので、上積みを望む声が上がっているという、と記事はしている。
○ そして。「少子高齢化で2階までの公的年金の先細りは避けられない。確定拠出年金を老後の生活を支える規模に育てるためには、より柔軟な制度にしていくことが必要だ。」と結んでいるのだが、ここまでイデコの背景などを知らない記事には、驚きを覚えた。
○ 確定拠出年金制度の創設以来、事業主が拠出する企業型年金と、個人が拠出する個人型年金との峻別は厳に行われてきた。組合側には、企業型の拠出原資は退職給付であり、個人拠出を認めると、実質的な退職給付の減額につながりかねないとの危惧があった。
○ マッチング拠出と呼ばれている企業型年金加入者掛金は、そのような危惧の下で、拠出限度額の引き上げの中で認められたもので、事業主拠出と合算して限度額以内であることに加えて、事業主拠出が主体ということから、事業主掛金以内とする制限がある。
○ 一方で、イデコによる加入範囲の拡大は、そもそも何故行われたのか。専業主婦も含め、20歳以上60歳未満の全国民が加入できる制度となったと喧伝されているが、本人拠出のみ対象の小規模共済掛金控除では、専業主婦が拠出時税制優遇を享受できることはない。
○ そうすると、イデコによる加入対象拡大の裏側が見えてくる。実質的な加入拡大の対象は、公務員である。公務員には、厚生年金より有利な共済年金があったから、その上乗せ部分が確定給付企業年金と同質なものとして、確定拠出年金の加入対象外であった。
○ もちろん、確定給付企業年金を実施している企業でも、確定拠出年金の企業型年金の併用は可能である。しかし、公務員に企業型年金を追加するということは、事業主の拠出すなわち税金による国民負担であるから、到底認められるはずのない話なのであった。
○ ところが、共済年金は厚生年金と統合され、状況が一変した。それでも公務員には、年金払い退職給付として、確定給付企業年金と同等のものが創設された。従来の考え方では、確定給付企業年金を実施している場合には、個人型年金には加入できなかった。
○ それでは困るとして、行政姿勢を転換して誕生したのがイデコである。これにより企業型年金と個人型年金との併用が可能になったのだが、企業型年金加入者掛金の制度は、企業型年金と個人型年金との峻別がなければ、そもそも必要ではなかったはずである。
○ 噂によると、金融機関主導で、企業型年金加入者掛金の導入企業が増えていると言う。企業型掛金の拠出限度額を個人型併用で減額されないようにするためのようだが、金融記者には、「柔軟な制度」より、その真偽を追及することを期待したいと思う。(以上)


番号:113名前:管理人日時:2019年01月26日20時07分00秒権限:利用
ウノさん、早速のコメントありがとうございます。
非正規労働者を徹底的に差別してきた被用者年金の適用拡大は、当然のことで、年金制度を真摯に考えて来た人にとっては望ましいことですが、おっしゃるように、だからと言って公的年金の本来的なあり方の考察を、ないがしろにしてはいけないと思います。
制度改正を理念に基づくように行うことは簡単ではありませんが、常に理念を意識していなければ、場当たり的な対応に堕する危険があります。
マクロ経済スライドの完全実施、名目下限措置の撤廃を唱える人々にも、何のための公的年金なのかという点は、是非、考察して欲しいと思います。
そうしないで、現行の措置が既得権擁護に過ぎないと切り捨てるのなら、そうした主張も結局、自分達の世代の損得を考えたものに過ぎないのではないかとみなされかねないと思います。


番号:112名前:ウノ ヒロシ日時:2019年01月26日12時48分08秒権限:利用
本年第1号の年金時報に賛成です。
そもそも、現行の基礎年金は、本来性格の異なる基礎年金と被用者年金の定額部分を基に財政調整を行うというバーチャルな存在で、いずれ制度体系の変更は避けられません。
このことは、基礎年金を設計した当事者には自明のことだったと思いますが、一度制度ができてしまうと、所要の存在になってしまいがちです。
また、パート適用の拡大がようやく動き出すなど、今ただちに制度体系を論ずる環境にはありません。
しかし、この先どこに向うべきか、イメージくらいは持っていないとして困まります。基本年金構想はその一つですね。


番号:111名前:管理人日時:2019年01月26日12時08分09秒権限:利用
年金時事通信19-001号 (作成日:2019年1月26日)
「年金抑制、4年ぶり実施 19年度0.1%増に」2019年1月19日 朝日朝刊3面

○ 厚生労働省が「2019年度の公的年金の支給額を0.1%引き上げると発表した」ことを伝える記事である。年金額を抑える「マクロ経済スライド」が4年ぶり(2回目)に実施されるため、支給額の伸びは物価や賃金の伸びより低く抑えられる、ということになる。
○ この記事には、「少子高齢化の中で将来の年金水準を維持するというスライドの機能は、十分働いていない」という点の指摘と、「個々の高齢者の暮らしを見れば、マクロ経済スライドの実施で家計は厳しさを増す」という点の指摘という、二つの論調がある。
○ 同日付の日経朝刊2面の社説「年金マイナス改定を恐れるな」は、前者に立ち、「現行制度には年金支給額を原則、前年より減らさない名目下限ルールがあり、賃金がマイナスになったりすると給付抑制機能は十分に働かない」とし、名目下限の撤廃を主張する。
○ この主張を支持する意見は、少なくない。同紙5面「年金抑制 なお不十分」の記事でも、ニッセイ基礎研究所の中嶋邦夫氏が「このままでは(年金水準の)調整終了時期はさらに後ろ倒しになる可能性が高い」とし、世代間格差を縮めるために廃止を主張している。
○ だが、朝日記事の後者の視点、「特に国民年金は、将来的に現役の平均手取りの1割ほどまで落ち込むほど深刻だが、こうした高齢者の生活をどう支えるかの議論は遅れている。」は、どう考えるのか。廃止論者には、基礎年金のあり方の考察が欠けている。
○ 5年ごとで今年度実施の公的年金の財政検証に向けた議論が、社会保障審議会年金部会で始まっている。その議論で、米国の年金関係者からの、日本の2階建て公的年金制度は今後の労働市場の多様化に柔軟に対応可能ではないか、との指摘が紹介されている。
○ そもそも、2004年の年金改定より前には、基礎年金は、全国民を対象として基礎的な老後の所得保障を担う制度、厚生年金を中核とする被用者年金は、その上乗せの制度と位置付けられていた。それが、1985年に基礎年金を導入した際の基本理念だったのである。
○ ところが、2004年改定では、財政上の観点を重視し、基礎年金も、厚生年金と同等のマクロ経済スライドの対象とした。しかし、基礎年金は独立の財源を持っておらず、そのマクロ経済スライドは、国民年金勘定の資産をベースに行われることとなったのである。
○ 今になれば、このことが現在の問題点の元凶であることが分かる。自営業者等を対象とし、定額保険料になっている国民年金勘定は脆弱で、国民全体を対象とする基礎年金にマクロ経済スライドを適用する基盤にはなっていない。それが財政検証で露わになった。
○ では、どうすればいいのか。マクロ経済スライドの仕組みを、筆者は否定していない。しかし、その前提は、基礎年金の確固とした基盤があってのことであろう。よって、基礎年金のマクロ経済スライドは外し、その分も厚生年金に負わせればよいのではないか。
○ 基礎年金と厚生年金の双方を受給している受給者にとって、マクロ経済スライドによる減額を厚生年金のみにした方が少し厳しくなるかもしれない。だが、基礎年金のみの受給者は救われることになり、格差も是正される。名目下限措置も不要となろう。(以上)


番号:110名前:管理人日時:2018年08月19日08時31分40秒権限:利用
松浦さん 早速のコメント、ありがとうございます。

少し前まで、厚生労働省は、公的年金は、「世代間の助け合い」であることを強調していましたが、最近では、「保険の仕組み」を強調しています。
若い人達にも、障害年金などの給付が行われることを理解して欲しいというのは分かりますが、民間の保険では、たくさん保険料を払えば多くの給付が得られますので、誤解を招きかねません。
私は、公的年金の本質は、「幼少時代の養育に対する親への老齢期における報恩」であると思っています。
すなわち、公的年金は、この報恩を、空間と時間を超えて、見知らむ人をを時代を超えて助け合う仕組みだと思うのです。

自分の老後は、自分で準備すればよいと積立方式を主張する人々には、この報恩に関する意識が抜け落ちています。
もっとも、少子高齢化の進展の中では、自分自身で老後の準備をすることの必要性が高まるのは、当然のことですが。

長く生きられるのなら、長く働くべきことは、当然のことです。年金がなければ、誰でも、当然そうするでしょう。
一方、技術進歩や経済のグローバル化に伴う雇用の変質の中で、一つの企業にずっと雇ってもらう働き方には、限界が見えてきているように思います。
新たな技能習得などのために一時的な離職は避けられないと思いますので、その期間の所得保障が必要になるでしょう。

年金は、肉体的老化に対応してきたわけですが、新たな状況は、技能的老化ないしは社会的老化への対応を必要としているわけです。
それでも、肉体的老化への対応が必要であることは間違いありませんので、その折り合いをどうつけるか、そこが問題だろうと思っています。


番号:109名前:松浦新日時:2018年08月18日11時12分06秒権限:利用
国の年金は公的年金であるという当たり前の前提から考えて、一番大切なのは基礎年金であることを認識して、そうであれば現役時代に高所得であった人は損をして、低所得だった人が得するということを当たり前にしないと話が始まりません。すでにそうなのですが、常にここが問題になる。最終的には基礎年金だけになることも覚悟して、だれもが抱えるリスクに備えるラストリートとしての公的年金の役割りを明確にすることが年金の持続性確保のキモだと思います。


番号:108名前:管理人日時:2018年08月18日10時28分05秒権限:利用
【年金時事通信18-005号】 (作成日:2018年8月18日)
「年金過剰給付の是正急げ」2018年8月19日 日経朝刊21面

○ 経済教室欄における日本総合研究所の西沢和彦主席研究員と創価大学の中田大悟准教授による論説で、公的年金の財政検証は、「直近は14年に実施され、健康体であるとの判断が下された。」が、経済前提が甘すぎるとして、異論を提起しているものである。
○ その財政検証での「物価上昇率1.2%、賃金上昇率2.5%など」に対して、筆者らは、「物価上昇率、賃金上昇率は13~17年の平均をとり、いずれも0.44%」としながらも、「運用利回りについて…GPIFの通期運用利回り(01~16年)の2.89%」としている。
○ 一国のGDPは、中長期的には、賃金上昇率に近くなるものと想定されるが、それを上回る運用プレミアムの約2.5%は、批判している財政検証と、ほぼ同一である。これだけの運用プレミアムは、リスクの高い海外投資などを前提とすることになるが、妥当なのか。
○ ともあれ、運用プレミアムが大差ないのであれば、違いは、物価上昇率・賃金上昇率ということになる。筆者らの前提では、名目下限にかかるキャリーオーバーが機能しないから、マクロ経済スライドの自動調整機能全面発動を、という主張になるわけである。
○ しかし、この論説にも、重大な論点が抜け落ちている。そもそも、マクロ経済スライドが導入された時点では、その後の財政検証で露呈する、基礎年金の減額調整が厚生年金よりも長く続く可能性を認識していた年金関係者は、ほとんどいなかったと思われる。
○ その理由は、前通信18-004号で言及したように、基礎年金に対するマクロ経済スライドが、基礎年金全体にかかる独立した基礎年金勘定は実質的には存在せず、トンネル残滓的な国民年金勘定の百年後に給付1年分確保という制約の下で行われるからである。
○ もともと、全国民を対象とする基礎年金こそが、公的年金の名に値するのではないか。2004年年金改定の罪は、その原点を忘れさせたことにある。弥縫策として、国民年金の保険料納付の意義や価値を損なう「低年金者給付」で、お茶を濁している始末である。
○ 少子高齢化の進行に対して、公的年金制度で対応を行う必要はある。マクロ人口スライドも、一つの考え方ではある。だが、その適用は、全国民を対象とはしていない疑似的な公的年金である上乗せの厚生年金に絞るべきではなかったのか。その想いが消えない。
○ 厚生年金の保険料には、基礎年金対応分と上乗せの厚生年金対応分とが含まれている。老後の基本的な所得保障に必要な基礎年金対応分を先取りし、残りで上乗せの厚生年金を運営すればよいのではないか。国民年金保険料にも所得比例の要素が必要であるが。
○ 著者らも「働き方の多様化への対応」に言及してはいる。しかし、雇用の概念が変質する中で、「勤労者皆社会保険制度」は機能するとは思われず、「現行制度下で適用拡大を先行させる方法」は、結局のところ、基礎年金の見直しの先送りになるのではないか。
○ 私は今、大学で年金について教えているが、「 老後にも格差は持ち越されるのだと思った」「本当に困っている人に寄り添う年金制度であるべき」という若者の素直な問い掛けに、どのように向き合っていくのか、そこが年金改革の原点ではないか。(以上)


番号:107名前:管理人日時:2018年08月15日18時53分34秒権限:利用
松浦さん 早速のコメント有難うございます。

おっしゃる通り、上乗せの厚生年金については、公的年金の基本的条件を満たしていないと思います。
公的年金は、国民全体による世代間・世代内の助け合いのシステムと言われてきましたが、厚生年金は、その条件を満たしていません。

私は、日本の厚生年金は、職域・職能別の組合が発達していない状況の中での、全企業を対象とする「企業年金」と考えています。
その企業年金の中のさらなる上乗せ部分(基本的に、退職金から切り替えたもの)では、年金支給の重荷に耐え切れず、
従業員に資金を渡して自分で対応させる掛金建て制度(日本では、確定拠出年金制度)への切り替えが増加しています。

こうした状況の中で、巨大な企業年金である厚生年金を基軸に考える発想そのものが、限界にきているように思います。
ただ、とは言え、厚生年金加入の制約を外すと、身勝手な企業は、さらに従業員の老後を不安定なものにするでしょう。
その点では、厚生年金には大きな意義があり、簡単には切り捨てることができないわけです。

お考えの通り、マクロ経済スライドで価値が先細りする基礎年金では、何の支えにもならなくなります。
マクロ経済スライドは、上乗せの厚生年金部分にのみ、名目下限措置も外して、全面適用すべきであると思います。
その一方で、基礎年金を老後の基本的な生活保障の制度と位置づけることが必要なのではないかと思います。

今後の状況を考えた場合、AIの進展で、事業主に雇用される働き方は、大きな試練を迎えると思います。
それに対して、BI(ベーシックインカム)が必須であるという考え方が出てきていますが、
基礎年金を、そのBIの体系の中に組み込むことができなければ、公的年金の存在価値はなくなると思っています。

そこまでの危機感の下で、公的年金制度を再編できるのかどうか、今、公的年金制度に突きつけられている課題は、
1985年に公的年金制度を再編して基礎年金制度を創設した時に匹敵するものであるという認識を、
果たして、どれだけの年金関係者が持っているのだろうか、と思っています。


番号:106名前:松浦新日時:2018年08月15日09時41分33秒権限:利用
 世代内の公平は、社会保障である公的年金で何を実現するのかという観点から考えるべきではないでしょうか。
 負担に見合った給付が公平ということもできると思いますが、それでは基礎年金は不要です。
 老後の最低限の保障を基礎年金に求めるのであれば、マクロスライドのかかる基礎年金は、より役に立たなくなっていきます。
 私は社会保障の観点から、公的年金は最低保障を優先すべきと考えます。その意味では、いまのマクロスライドは間違っていると思います。
 いっそのこと、割り切って、報酬比例はなくすべきだと思います。
 わけのわからない経過措置ばかりで、年金の計算は、ごく一部の人だけのものになっています。
 報酬比例がなくなると、余計な計算は必要なくなって、信頼が増すことでしょう。また、投資も大きく減らすことができます。
 今後、国債バブルの崩壊で、超インフレが予想されます。
 そうなったら、報酬比例なんて、意味がなくなることでしょう。
 それでも、また、賃金スライドを復活させて形を整えることもできるかもしれませんが、それは世代間不公平の問題に火をつけます。
 年金は、高齢者のベーシックインカムと考えるのが一番ではないでしょうか。


番号:105名前:管理人日時:2018年08月14日23時48分46秒権限:利用
【年金時事通信18-004号】 (作成日:2018年8月14日)
「老いる国、縮む社会:「年金ようかん」どう分ける」2018年7月29日 朝日朝刊4面

○ 「少子高齢化が進んだ平成の間、年金への関心は高まった。限られた財源をどう分かち合うべきか、世代間の折り合いをつける難しさが鮮明になった。制度への信頼を揺るがす運営組織の不祥事も頻発した。」ことについての浜田陽太郎編集委員の記事である。
○ 2年前に慶応大学の学生がユース年金学会の発表の中で、年金についての「巨大なお金の塊」を「ようかん」に例え、「そのようかんを今の高齢者と、将来の高齢者である若者の間で分け合うとどうなるかを考える」というアプローチをしたことに言及している。
○ 彼らの考察の結果は、「マクロ経済スライドをフルに発動する必要がある」ということで、その観点で、「日本退職者連合」などとも話し合いをし、「現在の受給者と将来の受給者との話し合いでしか、問題を解決できない」という点では一致をみたとしている。
○ もとより、世代間の理解や公平性がなければ、公的年金制度は維持できない。その点で、受給者世代と若い世代との対話は、非常に有意義である。しかし、この「ようかん」の話には、もう一つの重大な論点である「世代内の公平性」の観点が抜け落ちている。
○ 記事の中で、「基礎年金にもマクロ経済スライドを発動すべきか、といった点で意見の違いは残った」とあるが、まさに、その点が問題なのである。結局、学生の言い分や視点は、自分たちは厚生年金をもらえるものという観点からでしかないのではないのか。
○ この問題を複雑にしているのは、マクロ経済スライドをフル発動すれば、将来の基礎年金の代替率も改善されるという点にある。その基本的な理由は、給付の抑制によって浮いてくる資金により、百年後に給付1年分維持の制約が充足しやすくなるからであろう。
○ しかし、基礎年金には、独立した勘定がない。1年分維持の制約は、トンネル残滓的な勘定である国民年金勘定に適用される。故に、例えば、厚生年金の適用拡大で国民年金勘定の対象者が減り、資産が留保されれば、マクロ経済スライドの影響は緩和される。
○ こうした不安定な状況でマクロ経済スライドを考えてよいのか。学生達に欠落しているのは、その視点である。つまりは、全国民が助け合っているという公的年金は、基礎年金に限られるという認識の欠如である。それでは、世代間の公平性の議論も意味はない。
○ 将来を展望すれば、フリーランス的な、事業主に雇用されない働き方は、増加するものと想定される。今の仕組みでは、そうした人達が増えると、基礎年金のマクロ経済スライドは厳しくなり、世代間の公平性の状況は悪化する。抜本的な見直しが必要であろう。
○ その綻びは、自民党政権が画策を始めた地方議員を厚生年金に加入させる動きにも、見て取れる。国民年金基金や確定給付企業年金を利用できるのに、それでも年金は不十分だというのである。厚生年金に加入できれば、保険料の半分は税金で賄えることになる。
○ 問題は、公的年金とは何かという本質論に帰着する。その根本問題を論じずして、解決を見出すことは難しい。財政的観点を重視して設定されたマクロ経済スライドには、その根源的問い掛けが欠落している。その上に築かれる議論は机上の空論になる。(以上)


番号:104名前:芦田日時:2018年05月04日17時01分29秒権限:利用
久保 様

 貴重な資料と解説有難うございます。
 「人生100年時代」に備えて企業年金もやっと新たな動きが出てきたことに期待しています。
 有期の企業年金のため75歳で支給が亡くなる友人が身近にいて、今更ながら「終身年金」の必要性を痛感しています。

 これからの若い人はDC年金中心でDB年金はめずらしいでしょうが、DBにしろDCにしろ、支給期間が終身支給と有期とでは安心感はかなり違います。
 今年5月からの企業年金改正でDB年金の脱退一時金をポータビリティーで連合会に移管し将来「終身型」の年金に繋ぐ道ができたことは歓迎すべきことだと思います。




番号:103名前:管理人日時:2018年05月04日11時10分32秒権限:利用
【年金時事通信】18-003号 (作成日:2018年5月4日)
「企業年金も人生100年時代 拡充や支給年齢上げ」2018年4月13日 日経朝刊1面
○「シニア雇用の拡大に伴い、企業が年金制度の変更に動き出した。年金の支給を開始する年齢を引き上げるほか、受け取り方を柔軟にするなど、『人生100年時代』を前提にしたライフスタイルの多様化に合わせる。」との記事である。注目すべき動きである。
○「年金制度の改革は雇用年齢の延長と表裏一体」であり、「今回は高齢者や女性の雇用拡大や、子育てとの両立といった働き方改革の浸透に合わせた変更」で、受給開始年齢を、60歳から65歳に引き上げたり、60~65歳の間で選択可能とした例が紹介されている。
○一方で、定年を延長して、「60~65歳向けの年金を廃止」する例も紹介されている。雇用延長によって、企業の人件費負担は増えるから、それを、相対的にはニーズが減る退職金や企業年金と調整する動きが出てくるのは当然で、この調整は今後も続くだろう。
○ただ、「制度の変更により年金財政が好転するケースもありそうだ。支給開始を遅らせれば運用期間が長くなり、資産を増やしやすい。」というのは、そうとは思えない。「運用次第で企業の負担が軽くなる可能性」は、運用リスクの長期化を意味するからである。
○運用リスクへの対応が、「確定拠出型の年金を導入・拡充する企業も多い」という動きであろう。今後を考えれば、運用リスクを負う年金支給については、企業が手を引き、従業員に任せる動きが加速する可能性が高い。英米では企業支給の年金は死滅に近い。
○したがって、従業員にとっては、企業年金での一時金や退職一時金を年金に転換できる途が切望されることになる。そのための管理人の年来の主張である「年金給付機構」に向けての動きは、企業による年金支給に拘る行政の姿勢から、まったく進展しなかった。
○ところが、ここに到って、注目すべき変化が現れた。それが、2018年5月1日に施行された確定給付企業年金における「脱退一時金相当額を移換できる者(中途脱退者)の拡大」である(http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000192886.html)。
○この改正で、「従来は、老齢給付金の受給要件のうち期間要件を満たしている場合には脱退一時金相当額の移換はできませんでしたが、その方のうち老齢給付金の支給開始年齢に到達していない方は、脱退一時金相当額の移換が可能となりました。」のである。
○これを確定給付企業年金の側での年金支給開始年齢の65歳への引き上げと組み合わせれば、65歳未満の退職者についての(選択・脱退)一時金は、企業年金連合会に移換できることになるだろう。企業年金連合会が提供するのは、保証期間付き終身年金である。
○残された課題は、元の企業年金制度において65歳以上で退職して年金を受給できる資格を有する人についても、本人の希望による企業年金連合会への移換を認めることである。そうすれば、元の制度での年金が有期年金であっても、終身年金を受給する途が拓ける。
○この改正は、ポータビリティの強化の一環で行われたものであるが、非常に大きな意義と可能性を秘めている。企業が移換の際の事務費などを負担できる措置を整備すれば、日本の企業年金には、確定拠出年金への傾斜に代わる選択肢が広がるのである。(以上)


番号:102名前:管理人日時:2018年05月04日10時12分54秒権限:利用
【論評】非正規は「不本意」か
2018年5月3日付朝日朝刊8面のコラム/経済気象台での論説である。
昨年の労働力調査(http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/4hanki/dt/index.html)に触れ、「非正規の職員・従業員が今の雇用形態に従事した理由で最も多いのは、『自分の都合のよい時間に働きたい』(539万人)である。次は『家計の補助・学費などを得たい』(407万人)。『家事・育児・介護などと両立しやすい』(235万人)などが続く。」としている。
その上で、「浮かびあがるのは主に主婦、学生、リタイアした高齢者の働き方である。彼らや彼女らの『少しでも働いて収入を得たい』とする必死さは健全なこと」であり、「『正規の職員・従業員の仕事がない』という『不本意』な非正規は273万人であり、全体の14・3%である。」とするのである。
この論説の趣旨は、「非正規雇用は『雇用の質が悪い』という偏見が横たわっている」として、正社員を一段上に置く風潮に疑問を呈することにあるのだろう。その点は、管理人にも異論はない。
ところが、「不本意」かどうかという点については、論説子の考察は、皮相なものとしか思えない。実のところ、労働の質は、非正規であっても必ずしも悪いものではなく、管理人の見聞きする範囲でも、むしろ正社員を上回っているケースもある。しかし、そんなケースでも、待遇差は、歴然としてある。一例が、「通勤費」で、非正規の場合には、支給されないことが多い。「少しでも働いて収入を得たい」との必死な頑張りが、これでは報われまい。
「自分の都合のよい時間に働きたい」という第一位の理由は、裏を返せば、正社員では時間的拘束が強過ぎるということであろう。そのことは、2018年4月25日付朝日朝刊8面「2848事業所で違法残業 厚労省の集中取り締まり」や2018年4月27日付日経朝刊5面「サービス残業2割減 15年前比、人手不足で待遇改善 民間試算」でも見てとれよう。
問われるべきは、「非正規」という身分差別的な働き方を強いている企業の姿勢であり、「不本意」かどうかという労働者側の状況ではない。その点を間違えれば、「非正規」を一段下に見る風潮は、今後も続くことになる。


番号:101名前:管理人日時:2018年04月07日11時11分41秒権限:利用
読者Aさん、コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、住宅の問題は大きいですね。
ただ、自分自身を考えてもそう思うのですが、高齢者の住環境は、医療や介護抜きでは考えられないように思います。
老人ホームや特別擁護施設といった住居に加えて、都市部と地方圏との体制格差の問題もあります。
難しい問題ですが、少なくなる子どもと増加する高齢者とが、建物内で交流できるように、
小中学校などを高齢者住宅と合体させるようなことも考えてはどうかな、と思ったりします。
昔は、年寄りが子どもに生活の知恵や工夫を教えるのは当たり前のことでした。
高齢者も相対的には元気になっており、子どもに教えることができることも少なくないのでは、と思います。


番号:100名前:読者A日時:2018年04月07日11時01分07秒権限:利用
番号96の【年金時事通信】18-002号へのコメント
高齢者の貧困対策と、生活保護・国民年金・ベイシックインカム、といったテーマとは一括して議論すべきテーマだと思っています。
国民年金だけで生活できないのは、支給額の他に、住宅費の問題もあると思っているのですが。
もし、極めて低額家賃の住宅が提供されるならば、国民年金だけでもなとかやりくりできるかもしれません。
空き家対策も絡めて、総合的に議論すべきですね。
でも、こうした、多角的な問題をリードできる政治家がいるのか不安です。


番号:99名前:管理人日時:2018年04月07日08時07分35秒権限:利用
【論評】子や孫へ年金のツケを回すのはやめよう
2018年4月5日付日経朝刊2面の社説である。「マクロ経済スライドを実施したのは15年度の1度だけだ。マクロ経済スライドを実施しないのは、子や孫の世代にツケを回すのと同義だ。名目下限ルールの撤廃が必要である。」とするものである。
ここまでは、従前の主張と軌を一にするものであるが、驚いたのは、「マクロ経済スライドには課題もある。すべての国民に共通する基礎年金への適用が高齢期の基礎的な生活費まで減らしてしまうリスクがあるからだ。基礎年金へのスライド適用は見送り、厚生年金の2階部分を対象にするなど柔軟な見直しが必要ではないか。」との記述である。この点は、管理人がかねて問題視してきたものだが、財政重視のマクロ経済スライド全面実施論者からの問題提起は、初めてなのではないか。
日本の公的年金制度の歴史を振り返ると、まず、諸外国と同様に、被用者年金が先行した。被用者年金の中核である厚生年金保険は、戦後の昭和22年に再建されている。その後の昭和34年に、取り残された自営業者などを対象とする国民年金が創設された。すなわち、被用者年金が主、国民年金が従、という構成だったのである。
この仕組みを抜本的に変革したのが、昭和60年に既存制度を再編して創設された基礎年金である。これにより、公的年金制度は、土台たる全国民を対象とする基礎年金と、上乗せの被用者年金(先般、ようやく各共済年金が厚生年金に一元化されたが)に整理されたのである。基礎年金こそが、国民の助け合いによる本来の公的年金であることは、国庫負担が、基礎年金のみに集中されたことにも端的に示されている。
ところが、基礎年金が本来の公的年金であることは、必ずしも浸透してきていない。数の上で多数を占め、その後も増加基調であった被用者年金が、基礎年金の保険料も併せて徴収する仕組みが維持されたため、従来どおり、主軸であるという考え方がまかり通ったためである。
しかし、時代は、大きく変化してきている。第四次産業革命とも称される産業構造の変化の中では、雇用主・被用者という区分概念に収まらない状況が生じており、2018年4月5日付日経朝刊14面では、フリーランスの経済規模は、今年推計で20兆円にも到っているとされている。
このような状況に対しては、被用者年金では十分な対応を行うことはできまい。被用者年金の適用拡大には大きな意義があるが、もはや、被用者年金を主軸とみなしていられるような時代ではないのである。
本来の公的年金は、家族内扶養を社会的扶養に変化・発展させたものである。すなわち、親が子の養育をする代わりに、子が親の老後の支援をするというものである。もとより、子が少なくなり、親の寿命が延びれば、親が引退する年齢を調整する必要は生じるが、「子や孫へ年金のツケを回す」といった議論につながるものではない。
これに対し、被用者年金部分の本質は、自身の老後のために自身の所得の一部を蓄えておくという「強制貯蓄」的な色合いを持つものであり、基本的に、自助を主体とした仕組みである。この点から、物価・賃金によるスライドは、子や孫の世代に依存する優遇措置と考えられるから、少子高齢化の進展に対するマクロ経済スライドの完全実施も、当然とも言えるものと考えられる。
公的年金の改革は、そのような基礎年金と被用者年金の役割や意義の再認識を大前提として進める必要があるのではないか。


番号:98名前:管理人日時:2018年04月07日06時21分56秒権限:利用
年金思さん 包括的なコメントありがとうございます。
基礎年金と被用者年金との関係整理については、別途論じてみたいと思います。
以下では、生活保護と基礎年金の統合・再編を視野に入れたベーシック・インカム(BI)について論じます。
BIの考え方については、理念的には賛同できても、ご指摘のように、財源に加えて、「働かなくて暮らせる」という勤労意欲の減退が問題視されているところです。BIの導入によって、「遊んで暮らせる」というような事態を招くことは論外ですし、現実にも不可能なことです。
日本国憲法第12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とし、第27条では、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」としています。BIの導入が、勤労の権利および義務を妨げることなど、あってはならないわけです。
BIは、勤労を妨げるものではなく、勤労を奨励するものとして位置づけられるべきものでしょう。つまり、AIの普及など、大きな産業変革の最中にあっては、一時的な失業、すなわち勤労の権利の行使が妨げられる可能性がありますが、BIによって生存の保障を得ることができる状況下で、新たな知識や技能の習得を目指すことができるようにするということです。
この観点からすれば、BIは、生活保護と同様に、緊急避難的なものでよいわけです。私は、緊急避難的な生活保護については、無償給付ではなく、貸付方式で対応すべきであると主張していますが、このことは、BIについても成り立つだろうと思います。そして、その貸付分の返済については、後日に所得を獲得できるようになったところで、実行してもらえばよいのです。その方法として、貸付残高のある人については、所得税率を上乗せすることも考えられます。
では、現役を引退した人についてのBIは、どうすべきでしょうか。私は、防貧のための基礎年金を基本的に維持し、それをBIと結合して、BI給付額と基礎年金との差額分を貸し付ければよいと思うのです。基礎年金の保険料を支払わない人はどうするのか、という点については、その保険料を現役時代に貸し付けることとすれば、未納や未加入といった問題もなくなります。
それでも、貸付金を結局返さない人がでるのではないか、という点については、「返せない」人と「返さない」人とを区分して考える必要があります。前者は、社会的保護を必要とする人であり、その生存権は国民全体で保障する必要があります。しかし、後者は、許されるべき存在ではありません。それでも、様々な所得隠しなどの懸念はあります。最終的には、相続財産にまで賦課することになるでしょうが、欧米でも行われているように、監視・摘発や社会的制裁が必要になるでしょう。
BIの導入においての最大の課題は、保護すべき「国民」の範囲です。日本国憲法は、「日本国民」を対象とするものですが、生活保護などは、日本国籍以外の人も対象にしています。日本国憲法は、その前文において、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」としています。その趣旨からすれば、BIはすべての日本居住者を対象とするのが理想でしょうが、現状では不可能なことでしょう。BIを当面は自国民に限定せざるを得ないとしても、それは「自国のことのみに専念」するものではなく、新たな社会状況に対応する、人類にとっての大いなる一歩とできるのではないか、と期待するところです。


番号:97名前:年金思日時:2018年04月05日22時34分37秒権限:利用
番号96の議論に関して
高齢者の貧困と社会保障の問題でよく話題になるのが「年金」と「生活保護」の関係である。特に、基礎年金より生活保護のほうが有利だとして安易に生活保護に流れるという懸念である。小塩隆士一橋大学教授や管理人のいう生活保護は高齢者といえども一時的避難であるべきであって公的年金を貧困の高齢化への対応の中心とすべきだという点に賛同する。ただ、方法論に関してはいろいろな考え方があると思うので知恵を絞る必要がある。優先順位はあるだろうが、厚生年金の適用拡大や基礎年金の機能強化はできるだけ早く進めなければならない。
・入る財源の範囲内で支給を行うという保険料水準固定方式の考え方からすれば、基礎年金にもマクロ経済スライドが適用されるのは理屈に合っている。ただ、そのまま適用したのでは基礎年金の機能が損なわれることがわかってきたので対策が必要となってきた。具体案はまだ見えないが、最低保障年金的な考え方が必要かもしれない
・被用者年金の拡大は短時間労働者・日雇い労働者も含めて全被用者に拡大すべきである。また最終的には自営業者等も含む全国民に2階部分の年金が適用されるようにすべきである。当面、自営業者のうちフリーランスや請負契約の場合には支払額から一定の保険料を天引きする制度が検討できないだろうか。自営業者の所得捕捉が困難であるのが大きな障害といわれるが、支払分から徴収するのであれば所得を考慮する必要はない
・国民年金の加入期間は被用者年金と合わせるべきである。ただし、20歳以上65歳未満とし、15歳以上20歳未満と65歳以上70歳未満は任意加入を可能とする。そうすれば最大55年の加入期間が可能となる
・ベーシックインカム(BI)については、現状ではまだ絵空事の域を出ないが、考え方としては検討に値する。最近特にBIが注目されている背景には管理人も指摘しているようにAI(人工知能)の普及で雇用が代替されていく懸念がある。年金でいえば支給を安定的に継続させるためには、支え手(労働者)を増やすか生産性向上によって支え手の減少分をカバーするかである。AIが飛躍的な生産性向上をもたらせば人口減でも財源(保険料)の確保はできるが、労働者の雇用機会も減ってしまう。そのため、AIの生産性向上分を再配分することにBIが使えるのではないかということだ
・BIとAIについては、昨年8月8日の日経新聞朝刊の経済教室「AIは何をもたらすか下」で井上智洋駒沢大学准教授が、AIは多くの労働者を失業させ所得を得られなくなるため、それを回避するにはBIが不可欠だと主張している。日本で毎月7万円を国民全員に給付するには生活保護や失業手当などの社会保障費を削減するとともに、所得税率を一律25%程度引き上げる必要があるが、これは平均的な国民にとってはほとんど負担にならないとしている。つまり富裕層が増税で貧困層へ再配分により財源を回すという考え方である。ただ、私はこれはちょっと無理があるように思う。数字的な検証はしていないが、仮に富裕層が受け入れて実現したとして単純計算で100.8兆円(7万円×1億2,000万人×12カ月)の財源が必要となる。税収は全体で60兆円程度であり、所得税はその半分程度だ。つまり、富裕層の分を再配分したとしてもとても足りないのではないか。一方、社会保障費は年間約120兆円(年金57兆円、医療38兆円、介護10兆円、その他15兆円〈うち生活保護3.8兆円、失業給付1兆円〉)。また、現在の社会保障費120兆円のうち保険料収入は約70兆円、公費約50兆円である。だから現在の社会保障制度撤廃で回せる分は50兆円ということになる。これを合わせても100.8兆円の財源捻出は不可能のように思う
・わが国は少子高齢化で人口減は続くが、高齢者や女性の社会参加、グローバル化による国境を越えた人材交流などの進展により支え手である労働者の減少はそれほど深刻にならないのではという気がする。AIの影響についてもまだ実際の影響はよくわからない。ただし、AIに限らず合理化が進んで人手が少なくてすむようになっていくのは間違いないので、労働市場の縮小は対応策を検討しておかないければならない。そうしたときにBIのような基本的な生活保障の仕組みは重要になってくるだろう。全面的なBIは難しいとしても、基礎年金の底上げの対策の中にBIの考え方を生かせるかもしれない。ただ、たとえBIが実現したとしても、働かなくて暮らせるという部分に目が行くことはよくない。あくまでも、自助努力という前提があって公助があるという基本は変わらないはずだ